ろうあ被爆者の体験伝承 手話通訳者、表情交え再現 広島の研究会 「最後の機会」後継育成急ぐ

ろうあ被爆者の黒川トモエさん(右)と手話通訳者の仲川文江さん=7月29日午後、広島市
ろうあ被爆者の黒川トモエさん(右)と手話通訳者の仲川文江さん=7月29日午後、広島市
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 広島原爆で被爆したろうあ者の手話による証言を継承しようと、広島県の手話通訳者が新たな試みを進めている。手話の手先の動きだけではなく、表情や体勢など全身で表現するろうあ被爆者の証言を、生き写しのように忠実に再現する伝承者を育てる取り組みだ。戦後73年の今年、200人以上いたとされる広島のろうあ被爆者は10分の1以下に減り、大半が80代後半に差し掛かる。「今が最後のチャンス」。広島県手話通訳問題研究会の仲川文江さん(78)は育成を急ぐ。

 7月29日、仲川さんは、ろうあ被爆者の黒川トモエさん(85)=広島市=を訪ねた。12歳だった黒川さんは、広島県聾(ろう)学校の疎開先だった吉田町(現安芸高田市)にいて助かった。あの日見えたきのこ雲を大きく手を掲げて表現した黒川さんは「ものすごい音だったと先生に教えられた」。5日後に中広町(現広島市西区)の自宅に戻り、大やけどで歩けなくなっていた母と再会。3年後に亡くなるまで足代わりになり看病した。「伝承させてほしい」との仲川さんの依頼に、黒川さんは「すごくいいこと」と、指で丸印を作った。

 仲川さんは、研究会が発足した1982年からのメンバー。体験を手話で聞き取り、本や映像に残してきた。発足当時は被爆体験を含め、ろうあ者の生活の記録がほとんど残されていなかった。「耳の聞こえない人たちの生きた証しを残したかった」と語る。

 ただ、手話を文章に訳すのは大変な作業だった。手先の動きだけを機械的に訳すと「8月6日の朝は起きてごはんを食べた」。しかし、つらそうな表情やあっさり食べ終わったような動作の理由を聞き、訳し直すとこうなる。「軍需工場で徹夜で働いた後、自宅に戻り、小一時間仮眠しただけで起こされてしんどくて。朝ごはんを食べたけど、茶わんは汁ばっかりで何にも入っとらんかった」

 全身で語るろうあ者の思いは見てもらうことが一番伝わる。ただ、映像では臨場感は伝わらない。思い付いたのが、手話で語る様子をそっくり再現する方法だった。2016年春から、被爆者村田ヨシエさんの元に仲間と幾度も通った。仲川さんは高齢のため監修に徹し山口みゆきさん(56)が伝承役に。練習を重ね、ついに村田さんから「OK」をもらった2週間後の今年1月、村田さんは89歳の生涯を閉じた。山口さんは「音の情報が入らないための怖さが印象深い。世界が仲良く、という願いを伝えたい」と話す。

 初めての伝承者となった山口さんは9月にも、修学旅行で広島を訪れる特別支援学校の子どもたちに村田さんの体験を伝える。仲川さんは「伝承者から伝承者に引き継ぎ、被爆者の思いが永久に生き続けるように」と願う。

=2018/08/01付 西日本新聞朝刊=

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