“人間モルモット”に怒り 長崎の原爆学級卒業生が文集

原爆学級の記念文集に原稿を寄せた中野陽子さん。「二度と被爆者を出さないでほしい」と訴えた=福岡県福津市
原爆学級の記念文集に原稿を寄せた中野陽子さん。「二度と被爆者を出さないでほしい」と訴えた=福岡県福津市
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 長崎原爆の爆心地に近い長崎市立城山小に戦後、設置された「原爆学級」。被爆児童と非被爆児童とで成長に変化があるかを調べたとされる混成学級で、卒業生7人による記念文集が昨年末、完成した。胎内被爆者の中野陽子さん(72)=福岡県福津市=も手記を寄せた一人。「私の願い…」と題した文章には、米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)から研究対象にされた怒りや悲しみ、平和への思いが記されている。

 中野さんは原爆投下から半年後の1946年2月生まれ。母は爆心地から約3キロ地点で被爆し、父を捜すため翌日、中野さんを身ごもった体で爆心地近くを歩き回ったという。被爆当時の話は父から1度聞いただけ。母は娘を心配させたくなかったのか、2000年に亡くなるまで一切語らなかった。城山小に原爆学級が設置されたのは、中野さんが入学した1952年度からの6年間だった。

 〈被爆した児童20人と被爆していない児童20人で編成されて学力や身体能力の差、生活態度を比べるために作られた学級でした〉

 卒業までクラス替えはなし。当時は状況を理解できず「楽しい6年間だった」と振り返るが、定期的にABCCに連れて行かれ、検査後もらったクッキーやチョコレートを持ち帰ると母はごみ箱に捨てたという。

 〈今思えば母はABCCの目的を薄々気付いていたのではないか〉

 自分たちの置かれた状況に気付いたのは今から15年前。テレビ局の取材で、自分が原爆の影響を調べるための研究対象だったことを知らされた。

 〈「人間モルモット」にされていたことを知り、初めて情けなさと強い怒りを覚えました〉

 検査で集めたデータは、「未来のために役立ててほしい」と願う。手記の最後はこう結ばれている。

 〈核兵器のない、戦争やテロが起こらない世界を目指して…。世界唯一の被爆国として日本がリーダーシップを取ってほしい〉

 文集には学級設置時の校長の言葉も収録。「知能も体力も予想通り被爆児は普通児より劣っている」と書かれており、中野さんは当時の学校側の認識を知ってショックを受けたという。

 12日には福津市立図書館で原爆学級をテーマに来場者と懇談する。「被爆者には当時の話を今もできない人がいる。亡くなった人の無念の思いを伝えたい」。自らの経験をありのままに話すつもりだ。

=2018/08/07付 西日本新聞朝刊=

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