工藤会のクラブ襲撃15年、今も消えない傷 被害者「報復や嫌がらせが怖い」

手投げ弾で負傷し、救急車に収容される「ぼおるど」の従業員=2003年8月18日(北九州市小倉北区。写真の一部を加工しています)
手投げ弾で負傷し、救急車に収容される「ぼおるど」の従業員=2003年8月18日(北九州市小倉北区。写真の一部を加工しています)
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「ぼおるど」の跡地は現在、駐車場になっている=8月(北九州市小倉北区。写真の一部を加工しています)
「ぼおるど」の跡地は現在、駐車場になっている=8月(北九州市小倉北区。写真の一部を加工しています)
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 北九州市の特定危険指定暴力団工藤会系組員が2003年8月、暴力追放に取り組んでいた小倉北区のクラブ「ぼおるど」(04年廃業)に手投げ弾を投げ込み、従業員11人に重軽傷を負わせた事件から18日で15年を迎える。「工藤会の凶悪性を世に知らしめた事件」(福岡県警幹部)とされ、その後、市民を標的にした銃撃や切り付け事件が相次いだ。県警の壊滅作戦により工藤会の弱体化は進むが、関係者の口はなお重く、恐怖を拭えずにいる。

手投げ弾爆発…「あの日死んでいたかも」

 「一瞬の閃光(せんこう)とともに、例えようもない爆発音が響いた。耳が痛く、しばらく何も聞こえなかった」。現場に居合わせた元ホステスは事件以来初めて取材に応じ、当時の恐怖を語った。

 ぼおるどは会社役員らが接待などで利用していた小倉屈指の高級クラブ。広いホールの天井には豪華なシャンデリア。最大50人の客が歓談し、ピアノ演奏を楽しめる夜の社交場だった。

 元ホステスによると、開店直後の午後8時ごろ、黒いフルフェースのヘルメットをかぶった黒ずくめの男が現れた。客約10人を含む約30人がいたホールをめがけ、止めるボーイを振り払い手投げ弾を投げ付けた。

 手投げ弾は店の奥にいたホステスの頭に当たって跳ね返り、トイレ横で爆発。大量の黒煙と痛みを訴える女性の悲鳴に包まれた。ソファは焼け、トイレの便器は跡形もなくなっていた。

 店の同僚は、顔に皮膚移植を受けるほどのやけどや、足に刺さったガラス片が手術しても取り除けないほどの傷を負った。元ホステスは爆発場所から離れた場所にいて難を逃れたが、傷ついた同僚の姿が今も脳裏から離れない。

 「無関係の私たちが、なぜ」。店は過去に組員にふん尿をまかれるなどの嫌がらせを受けており、元ホステスはこの夜の襲撃も工藤会の仕業と直感した。

 事件後、県警の保護対象となり、店からの帰宅時に警察車両で送ってもらう日々が続いた。一方で、事件後から自宅近くに見慣れない車が止まるようになり、不安が募り、精神安定剤を服用した。「あの日、死んでいたかもしれないと思うと鳥肌が立つ」と振り返る。

事件について口閉ざす被害者も

 事件後、工藤会による市民を狙った襲撃事件はエスカレートし、県警は14年9月11日に壊滅作戦に着手。工藤会総裁野村悟被告(71)=殺人罪などで起訴=を逮捕した。以来、襲撃事件は発生していない。ぼおるど襲撃事件を機に、県警は官民で夜の繁華街のパトロールを継続。今夏で約150回を数える。北九州の街は平穏を取り戻しつつあるように見える。

 元ホステスは現在、福岡県内で飲食店を経営。取材では「報復や嫌がらせが怖い」と年齢や近況について語ることを拒んだ。今でも大きな音に過敏で、フルフェース姿を見ると事件の記憶がフラッシュバックするという。また、連絡が取れた別の被害者は、事件について口を閉ざした。

 心に負った傷と恐怖は、15年を経ても癒やされていない。

   ◇    ◇

【BOXワード】ぼおるど襲撃事件

 2003年8月18日午後8時ごろ、北九州市小倉北区鍛冶町1丁目のクラブ「ぼおるど」に、特定危険指定暴力団工藤会(当時は指定暴力団)の系列組員が手投げ弾を投げ込み爆発させ、従業員11人に重軽傷を負わせた。組員は事件後、店外で従業員らに取り押さえられ窒息死した。経営者は暴力追放を掲げる団体の役員を務め、暴力団関係者の入店を拒むなど地域の暴追運動の象徴的存在だった。店は04年に廃業。

=2018/08/17付 西日本新聞朝刊=

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