「硫黄島の戦い」遺族手記を教材に 直方の小学校教諭が製作 戦闘、家族の心境など紹介

手記を基に作った教材などを平井さんに見せる織田教諭=23日、福岡市早良区
手記を基に作った教材などを平井さんに見せる織田教諭=23日、福岡市早良区
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平井さんの父が硫黄島から送ったはがき。「父さんはみんなの居る福岡の方を向いて名前を一人一人言っておはようと言っております」などと書かれている
平井さんの父が硫黄島から送ったはがき。「父さんはみんなの居る福岡の方を向いて名前を一人一人言っておはようと言っております」などと書かれている
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 太平洋戦争の激戦地となり、日米双方で約2万9千人の死者が出たといわれる硫黄島の戦い。福岡県直方市立新入小の織田朋子教諭(59)が今月、遺族の手記を基に教材を作った。家族を気遣う戦地からの手紙や過酷な戦闘を紹介するだけでなく、小学生でも理解しやすいように説明も加えた。新学期から平和学習で活用する。

戦地からの手紙、残された家族の日記を基に

 教材のタイトルは「硫黄島の記憶をひも解いて」。製作のきっかけは小学6年の教え子宅を訪問した際、「ひいおじいちゃんが硫黄島で亡くなった」と聞かされたこと。保護者から「学習に生かしてほしい」と、20年以上前にもらったというある遺族の手記を手渡されたという。

 手記は福岡市の平井信孚(のぶたか)さん(85)が、硫黄島で戦死した父の五十回忌の1994年に書いた。戦地などから届いた18通の手紙や、母(85年に死去)の日記を基に34ページの冊子にまとめた。織田教諭は小学生でも読みやすいように22ページに編集。教え子の曽祖父に硫黄島の戦死者がいたことから始まり、平井さんの父が手紙に込めた思いや、残された家族の心境を想像させる内容になっている。

 23日、織田教諭は初めて平井さんと会い、完成した教材を見せた。高齢で証言活動が難しくなったという平井さんは感謝の言葉を述べ、「あの戦争ではあまりにも命が粗末に扱われた。歴史を振り返ることの意義や、命の大切さを伝えてください」と頼んだ。

「託された思い」を子どもたちに

 70年以上の歳月で変色したはがきには、小さな字でびっしり文字が書き込まれていた。織田教諭は手に取り、「家族に会いたかったんでしょうね…」とつぶやいた。最後の便りが届いたのは45年2月24日、平井さんの12歳の誕生日だった。そこには3人の子どもたちへの思いがつづられていた。

 《いつも元気そうな、楽しそうな(略)おたよりを戴(いただき)き、毎度たよりをもらう度に何回も何回も読んで信孚の顔を思い出しています》《大分「セイ」が高くなったようですね。早く大きくなれ、なれ、三人よ》

 戦争を知らない世代が何を伝えられるだろうか-。教材を作りながら悩んでいたという織田教諭だが、平井さんと会って少し薄らいだという。「託されたことを一つでも子どもたちに渡していきたい」と力強く言った。

 【ワードBOX】硫黄島の戦い

 太平洋戦争末期の1945年2月19日から同年3月26日まで、小笠原諸島南端に位置する硫黄島で旧日本軍と米軍との間で行われた。サイパン島から東京までのほぼ一直線上にあった硫黄島を、米国は日本本土空襲の中継基地などのため、日本は本土防衛のために必要とした。川がないなど水が極端に少なく、日本軍は過酷な生活、戦闘を強いられた。日本軍側で約2万2千人、米軍側で約7千人が戦死したとされる。

=2018/08/27付 西日本新聞夕刊=

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