「終わってなんかいない」水俣病認定50年 支援者“2世”が訴え

シンポジウムで、若い世代から見た水俣について発言する永野いつ香さん(奥左)と、谷由布さん(奥右)=22日午後、熊本県水俣市の市立総合体育館
シンポジウムで、若い世代から見た水俣について発言する永野いつ香さん(奥左)と、谷由布さん(奥右)=22日午後、熊本県水俣市の市立総合体育館
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 水俣病を国が公害病と認定して26日で50年となる。患者団体などでつくる「水俣病被害者・支援者連絡会」は22日、この半世紀を振り返り、患者、被害者を取り巻く課題を考えるシンポジウムを熊本県水俣市で開いた。支援者として水俣に移り住んだ両親の元で育ち、今は高齢になった患者たちの生活を支える“2世”の2人が、若い世代の視点からメッセージを発した。「水俣病は終わってなんかいない」と。

 2人はいずれもヘルパーの資格を持つ谷由布さん(37)=同県津奈木町=と、永野いつ香さん(37)=水俣市。1968年9月26日の国による公害認定後、互いの両親は患者支援に奔走してきた。「小さい頃から患者さんたちに囲まれて、もう身内のような感覚」(谷さん)。いったん離れた水俣に、2人とも戻った。

 谷さんは昨年9月、スイス・ジュネーブで開かれた「水銀に関する水俣条約」第1回締約国会議に、胎児性患者の坂本しのぶさん(62)の介助役として参加した。世界各国の閣僚や政府関係者、メディアに対し、車いすから一生懸命に言葉を発する坂本さん。谷さんは常にそばにいてそっとマイクを向け、その一言一言を世界に届けた。

 「女の人と子どもを守ってください。一緒にしていきましょう」。この坂本さんの言葉には、今の水俣の課題も表れている。「何も処理されないまま有害な水銀を含む廃棄物が市内に何カ所も埋まっている。どうするのか、考えないと」

 水俣条約は昨年8月に発効し、現在98カ国が批准したとはいえ、“水銀ゼロ”への取り組みは緒に就いたばかりだ。谷さんは「水俣病の被害がいかに大変なものかをアピールすることで、この条約がいかに世界に必要か訴えていきたい」と力を込めた。

 永野さんは、いま働く介護の現場について語った。

 「どうしてこの人が(患者)認定されていないのだろう」。そう感じる場面に、何度も出合ってきた。患者団体などが「切り捨てのための制度」と批判する認定基準によって補償の道を閉ざされた人は、身近にも少なくない。「私には、患者と未認定患者の(症状の)差が分からない」と語気を強めた。

 介護士の人手不足、圧倒的に足りない入所施設、介護する家族の高齢化…。取り巻く環境は年々、厳しさを増している。「原因企業も行政も実態を見ようとしていない。困っている人がたくさんいることを、私なりに伝えたい」

 学生時代、水俣病研究の第一人者とされる熊本大医学部出身の故原田正純医師が提唱した「水俣学」の講義を受け、故郷水俣に向き合った。「答えは現場にある」という恩師の教えを胸に刻み、患者多発地区の住民たちの聞き書きにも取り組んでいる。

 公害認定から半世紀を経てなお、最終解決に至らない問題の根深さと、現在から将来にわたる課題を再確認したシンポジウム。熊本学園大水俣学研究センター研究員の田尻雅美さんは「次世代を担う若い存在に、将来の希望がある」と話した。

=2018/09/23付 西日本新聞朝刊=

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