【ある役人と水俣病・公害認定50年】(2)猫発症「原因は魚だ」

1958年ごろのチッソ水俣工場。熊本大医学部などによる原因究明の動きの裏で、メチル水銀による汚染、被害拡大が進んでいた=熊本県水俣市
1958年ごろのチッソ水俣工場。熊本大医学部などによる原因究明の動きの裏で、メチル水銀による汚染、被害拡大が進んでいた=熊本県水俣市
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 その猫はよだれを垂らし、「奇病」そのものの姿態をさらしていた。「思った通りだ」。熊本県水俣保健所長だった伊藤蓮雄(はすお)は、膝をたたいた。

 1957年4月、伊藤は保健所の1室を三つに間仕切りして猫を飼った。餌として与えたのは水俣湾産の魚介類。木箱の底に排せつ用の砂を敷き、中学生だった長男、隆一郎(74)が毎日、取り換えた。

 ある朝、猫の異変に気付いた隆一郎が、すぐに伊藤を呼んだ。「『(原因は)間違いなく魚だ』と、父は大変興奮していた」

 後日、その猫を熊本大医学部が病理解剖し、漁村で発病した患者たちと同じ病気であることを確認した。後に「水俣病」と呼ばれるその病が水俣湾産の魚介類を食べることによって発症する食中毒であることを、初めて科学的に立証した瞬間だった。

 伊藤はすぐに湾内の魚の採取、販売を禁止する措置を取るよう県衛生部に掛け合う。担当者も同意し、検討が本格化した。伊藤は晩年、この時の心境をテープに吹き込んでいる。「これで万事、解決と。非常に喜んだ」

 ただ、その前月、県の幹部はある方針を確認していた。「(チッソ水俣)工場との関係については、疑いは持てるが関係は不明という立場で臨む」。県内最大企業のチッソを優先する姿勢がその後、伊藤の楽観を打ち砕くことになる。

    ◇      ◇

 この頃、伊藤は患者の家々を回り、貧しい家庭の暮らしぶりにも気を配っていた。後に胎児性患者と確認された子を持つ母親たちのリーダー格だった坂本フジエ(93)は、聞き取り調査のついでに子ども服などを置いていく伊藤の姿を覚えている。「診察に着ていく物にも困っていた母親は、そりゃあ喜んどった」

 伊藤が診た初期の患者や家族は、後年の研究者による聞き取りの中で、伊藤について「よか人じゃった」と口をそろえている。保健所長当時の伊藤の働きを評価する声は、支援者の間でも少なくない。

    ◇      ◇

 伊藤が動物実験に成功し、県衛生部が対応を考えていた57年。東京でも、食品衛生法の適用に向けた動きが進んでいた。

 旧厚生省主催の「水俣奇病研究発表会」は57年7月、「(水俣病は)中毒性脳症であり、水俣湾産魚介類を摂食することによって発病」「有毒化の原因および有害物質の判定についてはなお今後の研究を待たねばならない」と結論付けた。

 これを受け厚生省の担当部長と熊本県の担当課長が協議し、食品衛生法適用の必要性を確認した。行政が病のもとである魚の摂取ルートを断つことで患者の発生はくい止められ、事態は終息に向かうかに見えた。

 しかし-。

 =敬称略

=2018/09/24付 西日本新聞朝刊=

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