「学生街の六本松」今に伝える 下宿の「お嬢さん」ら写真展開催

食堂や下宿が軒を連ねる昭和50年代の通り(写真右端は東口家寿子さん)。奥には九州大六本松キャンパスの木々が見える
食堂や下宿が軒を連ねる昭和50年代の通り(写真右端は東口家寿子さん)。奥には九州大六本松キャンパスの木々が見える
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母の日には下宿生たちが料理を作り「下宿のおばさん」の奥村寿摩子さん(右から3人目)に振る舞った
母の日には下宿生たちが料理を作り「下宿のおばさん」の奥村寿摩子さん(右から3人目)に振る舞った
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懐かしい写真を広げ、かつての六本松の姿について語り合う東口家寿子さん(写真中央)や地元店主、六本松蔦屋書店の担当者たち
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六本松周辺を走っていた旧国鉄筑肥線
六本松周辺を走っていた旧国鉄筑肥線
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 九州大六本松キャンパス(福岡市中央区)の跡地再開発で、福岡高裁などの入った新庁舎の運用が始まった六本松地区。「学生の街」から「法曹の街」へ。その変遷をたどる写真展が六本松蔦屋書店で開かれている。発案者は、六本松に1級建築士事務所を構える東口家寿子(とうぐちやすこ)さん(45)。学生下宿の「お嬢さん」だった東口さんが新たな地域づくりへの機運を高めようと地元商店主たちと企画した。「古さと新しさが共存する街の魅力を伝えたい」と意気込む。

 六本松の学生街にあった東口さんの実家は昭和30年代ごろに下宿を始めた。1945年の福岡大空襲で、夫と自宅を失った祖母が女手一つでわが子を養うためだったという。

 建て増しを重ねて迷路のようになった家には11部屋があった。「夜になると議論する声やマージャンの音が響いてね」と話すのは、78年に下宿を引き継いだ東口さんの母、奥村寿摩子(すまこ)さん(79)。朝晩の食事を用意し、風邪をひいた学生には薬を飲ませた。「母の日、下宿生が料理本を片手にシチューを作ってくれたこともあった」と懐かしむ。

 食堂や古書店、レコード店などが点在し学生の街としてにぎわった六本松だったが、平成に入るとマンションでの1人暮らしが急増。96年、寿摩子さんは下宿を閉め、老朽化した家屋を取り壊した。「九大生のお兄ちゃんに遊んでもらった家がなくなり寂しかった」

 それから20年。建築士となって結婚、実家を離れていた東口さんは2015年、事務所の移転先を探す中、幼少期にお使いに行っていた、たばこ店のビルが空いていることを知り故郷に戻ってきた。

 既に09年に六本松キャンパスは閉鎖され、表通りは再開発で華やぐ一方、かつての学生街は空き家が増えた。ごみのポイ捨てが目立ち、ぼや騒ぎも起きた。

 見かねた東口さんは知り合いの不動産店に相談した。「ユニークなアイデアを持った人を連れてきてよ」。レトロ感漂う街並みに誘われるようにパン店が入居。その後も、若い店主たちが次々と開業した。

 新旧住民が入り交じり、活気を取り戻し始めた六本松。東口さんは今春、新たに進出してきた餅店と写真スタジオの店主に声を掛け「六本松メモリーズの会」を結成。跡地に進出した六本松蔦屋書店と共催し写真展を開くことにした。「昔を知る人と今しか知らない人が一緒に楽しみ、新しい地域づくりを考える場にする」のが狙いだ。

 九大関係者や地域住民を訪ねて写真を集めた。旧国鉄筑肥線、学生下宿、喫茶店…。1920年代から現在までの街の様子がにじむ約70点を並べている。

 キャンパス跡地では8月、福岡高裁、地裁、家裁、簡裁と検察審査会が入った新庁舎が開業した。再開発は現在進行形で進む。新しい風景に慣れるまで時間はかかるだろうが、東口さんの六本松への思いは変わらない。「地域を思う人がいる限り、街が廃れることはない。多くの人に愛されている六本松が大好きです」

 六本松今昔写真展「ロッポンマツメモリーズ」 10月5日まで、福岡市中央区六本松4丁目の六本松蔦屋書店。入場無料。同店=092(731)7760。

=2018/09/25付 西日本新聞夕刊=

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