伊方原発運転容認、被ばくの恐怖訴え届かず 第五福竜丸船員の親族憤り

厳しい表情で決定内容を聞く伊東俊義さん=28日午後、大分地裁前
厳しい表情で決定内容を聞く伊東俊義さん=28日午後、大分地裁前
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高木兼重さん
高木兼重さん
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 「放射能に苦しんだ伯父のため、日本から原発をなくしたい」。大分県の住民らでつくる「伊方原発をとめる大分裁判の会」の一人、伊東俊義さん(66)=同県臼杵市=は、米国の水爆実験で被ばくした第五福竜丸の船員を伯父に持つ。被ばく者の親族として求めた差し止め決定は、かなわなかった。「本当に将来を思っての判断だったのか」。言葉に怒りがこもった。

 伯父の高木兼重さんは同県津久見市のマグロ漁師だった。1954年3月、静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船、第五福竜丸に操機手として乗り込み、太平洋・ビキニ環礁であった米国の水爆実験に遭遇して被ばく。89年に66歳で亡くなった。死因は他の船員にも多かった肝臓がんだった。

 互いの家は近所だった。伯父は放射能の影響とみられる体調不良で漁に出られなくなっていた。普段から顔を合わせてはいたが、苦しむ伯父に被ばくについて聞くことはできなかった。

 伊東さんが20代の頃。伯父が顔中に包帯を巻いた写真を見つけた時に、淡々と「あの時」のことを話してくれた。「早朝に西の空から太陽のような光を見た。その後、雪が降ってきたと思ったら、被爆したサンゴの死骸だった」「入院中、自分を見て叫び声を上げる人がいるので鏡を見ると皮がむけていた」。悲痛な叫びも聞いた。「毎年検査のために東京の病院に呼ばれる。自分はモルモットじゃない」。晩年、地元の子どもたちに平和授業として当時の体験を話していた姿もまぶたに焼き付いている。

 伊東さんは臼杵市でインターネット関連事業を営んでおり、大分の原告団からホームページの作成依頼を受けた。会で話を聞くうちに「原発と第五福竜丸の悲劇は通じる」と感じ、2016年9月、本裁判の原告に手を挙げた。

 この2年間は県内を回り、伯父が語り継いでくれた放射能被害の恐ろしさを訴えてきた。「伯父は実験場から160キロの場所で被ばくした。大分と伊方原発は最短45キロ。万が一の時は深刻な被害が懸念される」

 決定当日の28日朝、被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にも加入した。司法の場以外でも被爆の歴史や放射能被害の実情を広く訴えたいと考えたからだった。

 「落ち込んではいられない。伯父は『これからも頑張れ』と言ってくれているはずです」

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■住民側「最悪の決定」

 運転容認の流れは、変えられないのか。伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の再稼働を認めた28日の大分地裁決定を受け、住民側弁護団の徳田靖之共同代表は「四国電力の主張をうのみにし、ほとんど無批判に認めた不当決定だ」との声明を読み上げた。

 河合弘之共同代表は、ほとんどすべての争点で四国電力側の言い分が認められたことに「これまでの判決や決定の中でも最悪。よくもこんなに権力、原子力村べったりの判決を書いたと思う」と切り捨てた。

 申立人の小坂正則さん(65)=大分市=は「大阪府北部地震、北海道地震ともに、想定していなかった断層が動いたと言われている。このことを裁判官には考えてもらえると期待したが」と唇をかんだ。「訴訟は今後も続く。伊方原発が止まるまで闘う」と力を込めた。

=2018/09/29付 西日本新聞朝刊=

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