ノーベル化学賞の下村脩氏死去 「光るタンパク質」クラゲから発見 長崎大出身

九十九島水族館「海きらら」のクラゲ展示を視察する下村脩さん=2009年10月、長崎県佐世保市
九十九島水族館「海きらら」のクラゲ展示を視察する下村脩さん=2009年10月、長崎県佐世保市
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佐世保南高の生徒たちから握手を求められ、笑顔で応える下村さん=2009年3月、長崎県佐世保市
佐世保南高の生徒たちから握手を求められ、笑顔で応える下村さん=2009年3月、長崎県佐世保市
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 生命科学の研究に不可欠な緑色に光るタンパク質(GFP)をクラゲから発見し、2008年にノーベル化学賞を受賞した長崎医科大薬学専門部(現長崎大薬学部)出身で米ボストン大名誉教授の下村脩(しもむら・おさむ)氏が19日午前6時15分、老衰のため長崎市で死去した。90歳。葬儀は近親者で行った。喪主は妻明美(あけみ)さん。

 1928年京都府生まれ。幼少期を満州(現中国東北部)や大阪で過ごし、長崎県諫早市へ疎開。16歳の時に長崎原爆を目撃した。長崎医科大や名古屋大を経て60年に米プリンストン大へ。61年、米西海岸の研究所でオワンクラゲ約1万匹を捕獲、GFPを発見した。

 名古屋大助教授、ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員などを務めた。長崎大名誉博士。退職後は米マサチューセッツ州の自宅で研究を続けた。長崎大によると、最近は親族がいる長崎市で暮らしていた。

 紫外線を当てると緑色に光るGFP遺伝子は、ほかの生物に組み込むことで、特定の細胞の活動を可視化できる。医学や創薬など現在の生命科学分野に欠かせない技術で、ノーベル化学賞を米国研究者2人と共同受賞した。九州育ちの研究者の受賞は下村氏が初めてだった。

■長崎愛したクラゲ博士 下村氏死去 市民と交流 講演で「核廃絶」強く訴える

 “クラゲ博士”の下村脩さんは米国在住ながら、学生時代を過ごした長崎県をたびたび訪れた。子どもたちと触れ合ったり、講演したりして長崎の人々と交流。核兵器廃絶も強く訴えた。

 下村さんは佐世保市の小中学校に通った。その縁で2009年、下村さんの名を冠した小中学生対象の科学賞が創設された。第1回表彰式に出席した下村さんは「どんなことでも一生懸命やって、やり遂げる努力をしてください」と子どもたちに語りかけた。

 研究に使うオワンクラゲを妻明美さんら家族総出で捕まえ、失敗を重ねた末に緑色に輝くタンパク質(GFP)を発見した下村さん。10年から名誉館長を務める同市の九十九島水族館「海きらら」には下村さんが「決してあきらめない」と書いた色紙が飾られている。川久保晶博館長(63)は「水族館スタッフや科学に携わる人たちを勇気づける存在だった」としのんだ。

 戦時中は諫早市に疎開した。母校・諫早高校の前に下村さんの銅像が立つ。制作した同市の彫刻家、馬場正邦さん(61)は「信じた道をひたすら追究していく研究者のオーラを感じた」と面会時を振り返った。

 諫早郊外で長崎原爆を体験した。強烈な閃光(せんこう)に目がくらみ、黒い雨を浴びた。15年、核廃絶を掲げる科学者らが集うパグウォッシュ会議が長崎市であり、下村さんは講演会で体験を語った。科学研究が軍事技術に転用されることを念頭に「(目撃した犠牲者の姿が)私の人生観を変えた。戦争のない、核兵器のない世界を望む」と訴えた。

 長崎文献社から出した自伝「クラゲに学ぶ」によると、九州各地の高校や工専を受けたが入れず、長崎医科大薬学専門部に進んだ。かつて取材に「劣等生だったけど、長崎薬専がとってくれたことが(研究生活の)始まり」と語った。実直に基礎研究を続け、生命科学研究の発展に寄与した下村さんの訃報を受け、長崎大の河野茂学長は「世界的な科学者として活躍し、学生や若い研究者を大いに発憤奮起させた」とコメントした。

=2018/10/22付 西日本新聞朝刊=

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