「博多の新宿」再び輝くか 福岡市・渡辺通り 「サンセルコ」再開発検討開始 南北のにぎわい 地元期待

建て替えの検討が始まったサンセルコ。屋上にあるのは、かつて本社を置いていたFBS福岡放送のテレビ塔だ
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昭和30年代の渡辺通1丁目から柳橋方面
昭和30年代の渡辺通1丁目から柳橋方面
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サンセルコの「ステップガーデン」。エーゲ海の海岸段丘をイメージしているという
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 そのにぎわいぶりから、かつて「博多の新宿」と呼ばれたエリアがあった。福岡市・天神を南北に貫く渡辺通りの南端に当たる福岡市中央区渡辺通1丁目かいわい。この地に約40年前から立つ複合ビル「サンセルコ」で再開発の検討が始まった。人通りが少なくなった「博多の新宿」は往時の輝きを取り戻せるか-。特命取材班がその歩みと、再生にかける人々の思いを追った。

 「とにかく人が多くて、午前中で商品が売り切れてしまうから、昼休みの時間に家から商品を補充するのをよく手伝ってねえ」。1970年代の市街地再開発事業前に父親が衣料品店を構えていた鶴田隆さん(76)は振り返る。

 戦後間もない物資不足の時代。渡辺通1丁目はヤミ市から発展した商店が軒を連ね、毎日買い物客でごった返した。そばには「博多の台所」と親しまれる柳橋連合市場もある。

 そもそも、なぜこの一帯が繁華街になったのか。

 近現代史研究家の益田啓一郎さん(51)は「現在の博多区大博町一帯にあった遊郭が戦前、清川(渡辺通1丁目の南側)に移されたことが大きい」とみる。サンセルコ周辺は「花園町」と呼ばれていたという。

 58年、売春防止法施行による「赤線」廃止後も、劇場やキャバレーが並ぶ繁華街だった。地元の春吉校区自治協議会会長の楠下広師さん(77)は「すごい繁華街やった。美空ひばりやらスターもたくさん来とった」。

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 古くから暮らす人たちが口々に「博多の新宿と呼ばれていた」と証言する街。その栄華は長くは続かなかった。60年代後半になると、店舗がひしめく街は建て替えが進まず老朽化が目立ち、人通りが減ったのだ。

 70年代になり、再開発事業が本格化した。店舗が密集した街区を整理し、78年にホテルニューオータニ博多が、翌年にサンセルコが開業。ちなみに福岡市の市街地再開発事業の第1号で、市もエリアの再生を重視していたことがうかがえる。当時の資料にも「博多新宿」という表現がある。

 サンセルコは当時、斬新な施設だった。キャッチコピーは「太陽と緑につつまれたロマンの段丘」。渡辺通り側の外壁が階段状になっており、各階のテラスに植栽が施されている。

 この形、どこかで見たような-。そう、市緑化に貢献する階段状の「ステップガーデン」が売りの福岡市・天神のアクロス福岡(95年開館)だ。「実はサンセルコが“はしり”なんです」。サンセルコビル管理の清原英明社長は胸を張る。

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 それから40年を経て動きだしたサンセルコの再開発への検討。採算性や、建物がつながるホテルニューオータニ博多との協議など、ハードルは多い。

 ただ、これまで東西に貫く明治通り沿いの計画が先行気味の福岡都心の再開発について、福岡市幹部は「今後は南北の広がりが重要」と指摘する。益田さんも「渡辺通1丁目かいわいはかつて『南の都心』と位置付けられていた。歴史から見ても、意義がある」と話す。

 「サンセルコ」という名は、日当たりの良い南東の角地という好立地と三つの建物棟を表す「SUN」と、買い物▽飲食▽宿泊▽文化▽オフィス-という英単語の頭文字の組み合わせ。地域の暮らしを支え、福博のにぎわいを生み出す-そんな願いが込められていた。

 それだけに、商店主などで構成するビル所有者たちの思いは強い。子ども服店をサンセルコ内に構え、ビル管理組合法人の副理事長を務める鶴田さんは「天神にも博多にも近く、もともと可能性の大きいところ。何とかいい形で次の世代に残したい」と決意を語った。

=2018/10/27付 西日本新聞夕刊=

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