東北から朝倉支援 柿再び 2度の豪雨被災農家に100万円

重機を操縦して記念の柱を立てる小ノ上喜三さん。背後の道を「河野坂」と名付けた=23日午前、福岡県朝倉市杷木松末
重機を操縦して記念の柱を立てる小ノ上喜三さん。背後の道を「河野坂」と名付けた=23日午前、福岡県朝倉市杷木松末
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 昨年7月の九州豪雨と今年7月の西日本豪雨の2度にわたり、福岡県朝倉市杷木松末(ますえ)の柿園に向かう作業道が崩落した柿農家、小ノ上喜三(よしみつ)さん(69)が、2年ぶりに同園からの出荷を再開した。窮状を報道で知った東日本大震災被災者の知人から贈られた100万円で道を復旧できた。「いくら感謝しても、しきれない」と小ノ上さん。約200メートルの道には知人の名を冠し、記念の木柱が柿園を見守っている。

 柿園は氾濫した川沿いにある約5ヘクタール。九州豪雨で被災した昨年は全く出荷できなかった。自宅が全壊した小ノ上さんは同県うきは市に住みながら、今年4月から重機を使い自力で復旧作業を開始。5月には摘果など柿の世話を始めた。

 だが6月に道の復旧を終えた直後、西日本豪雨で再び約100メートルが流された。「収穫は無理か」。頭を抱えていたところ、岩手県矢巾(やはば)町の元肥料販売会社社長、河野(こうの)和広さん(72)から突然、支援金が届いた。

 2人の出会いは8年前。小ノ上さんは九州旅行をしていた河野さんと人を介して知り合い、朝倉市で酒を酌み交わした。会ったのは一度きり。河野さんは報道番組で小ノ上さんの被災を知ったという。

 仕事をリタイアした河野さんは2011年、岩手県陸前高田市の実家に引っ越そうとしていた。だが同年3月の東日本大震災で実家は津波に消えた。「被災のことが分かるし、九州でお世話にもなった。自分にできるのはこれくらい」と支援金を思い立った。

 小ノ上さんは支援金で作業道を整備。道手前の川は橋が流されたため、今も川を横切って柿園に行かなければならず、増水している日は柿園に行けないが、降雨の日を除けば収穫できるようになったという。

 「支援金は本当に助かった」。小ノ上さんは感謝を込めて道を「河野坂」と命名。23日には高さ約2メートルの柱を道の脇に立てた。河野さんも「こちらこそありがたい。お返しはいいので、他の人へ『恩送り』をしてほしい」と話している。

=2018/10/28付 西日本新聞朝刊=

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