忘れられた「もう一つのファントム」 小郡に米軍機墜落50年 乏しい検証、風化進む

米軍機が墜落した現場付近を指さす野田正樹さん。奥の林の向こうは大分自動車道=福岡県小郡市
米軍機が墜落した現場付近を指さす野田正樹さん。奥の林の向こうは大分自動車道=福岡県小郡市
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米軍機墜落現場の写真。左上の民家が野田正樹さんの自宅=1968年11月14日
米軍機墜落現場の写真。左上の民家が野田正樹さんの自宅=1968年11月14日
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 ベトナム戦争さなかの1968年11月14日、福岡県小郡市の水田に、米軍板付基地(現福岡空港)を離陸した米軍偵察機が墜落した。あわや大惨事という事故から14日で半世紀。同じ年の6月、福岡市の九州大箱崎キャンパスに墜落し、今も検証や研究が続く米軍ファントム機事故と比べ、当時の状況を知る人は少なく、地元で話題に上ることもない。

 事故は11月14日午前9時20分ごろに起きた。離陸直後の偵察機RF101Cが当時の小郡町井上の水田に墜落。乗員1人はパラシュートで脱出し無事だった。

 当時の本紙によると、機体はぬかるんだ水田にめり込んで大破した。民家まで約100メートル。「もし、われわれの家に落ちたら…と思うと、ぞっとして生きた心地はしなかった」。取材に応じた住人の農家男性は答えた。

 この民家には今、息子の野田正樹さん(67)が暮らす。当時は高校2年生。事故時は不在だったが、帰宅後の記憶は鮮明だ。「水が湧きよる苗田に落ちたから、機体が埋まって、ほとんど穴しか見えんやった」

 当時は、学生を中心に反基地運動を高めるきっかけになった米軍ファントム機墜落から約5カ月後。小郡の現場にも、基地の撤去を求める学生や市民運動の人々が大勢やって来た。現場を警備する米軍側も増員され、気勢と怒号が入り乱れた。

 「川の土手に、ミカン売りのおばちゃんまで来よった」と野田さん。本紙には〈毎日千人から千五百人の見物客が詰めかけ、道路わきには臨時のミカン店まで出現する騒ぎ〉とある。

 騒動は突然終わった。16日未明、野田さんは騒音で目を覚ました。窓の外を見ると、こうこうと照明器が照らす中、米軍が仮設道路から大型トレーラーを引き入れ、機体を回収し、道路も含めて撤収していった。野田さんの目には機体を覆い隠したシートの緑色が焼き付いている。やがてデモ隊もいなくなった。

 現場は今、大分自動車道が通っており、事故の痕跡はない。小郡市史第三巻(98年刊行、全1016ページ)には「現代の小郡」の項に1ページだけ「米軍機井上に墜落」と題した記載があり、〈日を待たずして(略)円満な解決をみた〉と締めくくられている。

 野田さんがふと口にした。「空港には米軍施設が残っとっとでしょう?」。事故は確かに風化している。

=2018/11/14付 西日本新聞朝刊=

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