普賢岳撮り続け30年 南島原市の大河さん 噴火写真 学術誌や教科書に

雲仙・普賢岳(中央奥)を撮り続けている大河憲二さん
雲仙・普賢岳(中央奥)を撮り続けている大河憲二さん
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198年ぶりの噴火が始まり、2本の噴煙を上げる普賢岳=1990年11月17日朝、大河さん撮影
198年ぶりの噴火が始まり、2本の噴煙を上げる普賢岳=1990年11月17日朝、大河さん撮影
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夜の火砕流。ガスや溶岩塊が高温で危険であることが一目で分かる=1993年5月4日、大河さん撮影
夜の火砕流。ガスや溶岩塊が高温で危険であることが一目で分かる=1993年5月4日、大河さん撮影
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特産品のタバコの花と普賢岳=2017年5月20日、大河さん撮影
特産品のタバコの花と普賢岳=2017年5月20日、大河さん撮影
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 1990年の雲仙・普賢岳の噴火から、17日で28年を迎えた。麓に住む大河(おおかわ)憲二さん(63)=長崎県南島原市深江町=は普賢岳の姿を撮り続けて30年以上。噴火の前から現在まで、山の変化や地域の再生をレンズ越しに見つめてきた。

 福岡県大牟田市出身。埼玉県で進学塾の講師をしていた30歳の頃、「自然豊かな環境で子どもを教えたい」と旧大野木場小近くに移り住み、自宅屋上にミニ天文台を設けた。季節ごとに、朝や夕に、多彩な表情を見せる普賢岳や星空を趣味のカメラで撮影した。

 198年ぶりの噴火が始まった90年11月17日朝。「普賢岳山頂付近で山火事のもよう」と防災放送が流れ、自宅からファインダーをのぞいた。すーっと立ち上る2本の白煙。「勢いがある。噴火だ」と思った。

 連日、普賢岳の変化を追った。溶岩ドームの成長、谷を埋める火砕流や土石流で姿を変えていく山体。5年半の噴火中に定点観察的に撮った写真は約3万こまを数える。火山研究上も貴重な資料となり、学術誌や小中学校の理科の教科書、事典、雑誌に掲載された。

 撮影を通じて知り合った火山研究者らに地道な観察の大切さを学んだ。持ち前の好奇心が刺激され、独学で地学を勉強。島原半島は火山で形成されたと知り「人々は火山と生きてきたことが改めて分かった」。

 噴火終息後、焼け焦げた山体は少しずつ緑を取り戻した。避難していた住民は古里に戻り、田畑も復旧。大河さんの写真も変わっていった。復興を願い、花や稲穂、紅葉を普賢岳に取り込んだ構図が増えた。今後もじっくり山の変化を記録するつもりだ。「撮影ポイントを案内しながら普賢岳を解説できたら楽しいでしょうね」

   *    *

 写真は、大河さんが管理案内する深江埋蔵文化財・噴火災害資料館(深江町)=0957(72)2512=で展示されている。

=2018/11/19付 西日本新聞夕刊=

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