「私は被爆者」安堵一転 一審の認定取り消された大町さん 「同範囲なのに体験者、なぜ」

「私は被爆体験者ではなく、被爆者だ」と話す大町リキ子さん=長崎市内
「私は被爆体験者ではなく、被爆者だ」と話す大町リキ子さん=長崎市内
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 「被爆者として認めてほしい」-。大町リキ子さん(85)の病床からの願いは届かなかった。国による機械的な被爆地域の線引きに一石を投じた「被爆体験者」を巡る一審長崎地裁の判決は、10日の福岡高裁控訴審判決で取り消された。大町さんは一審が被爆者と認めた10人の1人。司法が一度開いた救済の門戸は再び閉ざされ、入院先の長崎市内の病室で肩を落とした。

 73年前の8月9日、12歳だった大町さん。爆心地の約8・5キロ東、旧矢上村の自宅で閃光(せんこう)を感じた直後、爆風で吹き飛ばされた。翌日、父親と一緒に爆心地近くの城山町の親戚宅へ。叔母といとこの遺体をリヤカーに乗せて自宅に戻り、火葬した。自宅の周りは数センチの灰が積もっていた。灰で汚れた井戸水や食べ物を口にしたので、下痢や高熱に苦しんだと考えている。

 成人してから慢性肝炎と診断され、下血などで入退院を繰り返してきた。それでも、長崎市への被爆者健康手帳の交付申請は却下された。当時の市の行政区域を基に定められた「被爆地域」は南北約12キロ、東西約7キロの楕円(だえん)状。自宅は爆心地から半径12キロ圏でも被爆地域の外側だった。「体験者」とされ、医療負担で被爆者と差があり続けた。

 「隣の地域の人は手帳がもらえるのに…。不合理で不平等だ」。第2陣訴訟の原告団(161人)の一員となった。2016年2月の一審判決は被爆による健康被害の独自基準を示し、大町さんら10人を被爆者と認めた。指定地域外の人に手帳交付を認める初の司法判断。「これで、被爆者として十分な治療を受けられる」と安堵(あんど)した。

 控訴審は「仲間である原告全員の勝利」を信じ、何度も裁判所に足を運んだ。しかし、昨年12月に最高裁で第1陣訴訟の原告敗訴が確定。頭をよぎった「第2陣も駄目かもしれない」の懸念が10日、現実となってしまった。

 1カ月前に内臓疾患の手術を受け、判決内容を代理人弁護士から電話で知らされた大町さんは、行政と司法への憤りをより強めた。「同じ12キロの範囲で、被爆者と体験者で分けられるのはおかしい。手帳がもらえるまで諦めない」

■「元気なうちに解決を」 原告団長、進む高齢化に決意

 「原告らの控訴をいずれも棄却する」。福岡高裁の1015号法廷で裁判長が主文を告げると、静まりかえった傍聴席の第2陣訴訟の原告たちは、一様に表情を曇らせた。

 昨年12月の第1陣の最高裁判決は、1人の審理を長崎地裁に差し戻したが、ほかの原告387人の上告を退けた。今回厳しい判決を予想する声も出る中、原告団長の山内武さん(75)=長崎県諫早市=は全員勝訴を願い続けた。判決後、「不当判決」と垂れ幕を掲げる弁護士の横で「地域で区切られて私たちは人間として扱われていない。悔しいというより腹立たしい」と語気を強めた。

 第2陣提訴から7年半。原告のうち19人が亡くなり、一審長崎地裁が被爆者と認めた10人は、この日、全員が体調不良などで高裁に来られなかった。戦後73年が過ぎ、原告の高齢化はいや応なく進んでいる。

 記者会見で山内さんは、亡くなった仲間のことを思い、時折目元を潤ませながらも「多くの人が元気なうちに解決してほしい。とにかく最後まで闘い続ける」と決意を語った。

=2018/12/11付 西日本新聞朝刊=

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