小児がんで旅立った24人 命の輝き色あせず 県庁で12日から写真展「闘病中の子たち応援したい」

駿ちゃんの写真の前で、写真展の準備をする内藤真澄さん
駿ちゃんの写真の前で、写真展の準備をする内藤真澄さん
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 小児がんで旅立った24人の笑顔を並べた写真展「空にかかるはしご」が12日から、福岡県庁(福岡市博多区)ロビーで開かれる。医療の進歩で70~80%が治るようになったものの、依然として14歳以下の死因の上位を占める小児がん。15日の国際小児がんデーに合わせ、がんの子どもを守る会九州北支部(山本章子代表幹事)が「まぶしい子どもたちの命の輝きと家族の思いを伝えたい」と、福岡県内の遺族に呼び掛けて初めて実現した。

 企画したのは、同支部副代表幹事の内藤真澄さん(54)=福岡県飯塚市。2011年11月、一人息子の駿ちゃんを3歳で亡くした。1歳4カ月のとき、せきが止まらなくなり、急性骨髄性白血病と判明。抗がん剤治療や臍帯血(さいたいけつ)移植と、泣きながら治療に耐えた。

 人生の大半を両親と祖父母しか入れない病室で過ごした。昼間はパソコンゲームやおもちゃで遊び、夜は内藤さんが絵本を読み聞かせた。ひらがなは覚えたが、泥遊びも虫捕りも経験しないまま。いつも病室の窓から眺めていた飛行機に一緒に乗る約束はかなわなかった。

 展示する写真を含め、写真の中の駿ちゃんはいつも笑っているが「その何万倍も苦しい顔をしていた」という。内藤さんは「駿の姿を通して、今治療を頑張っている子どもたちを応援してほしい」。

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 11年10月に3歳で逝った木下翔太郎ちゃんは、やんちゃな男の子だった。2歳で左目の奥にがんが見つかり、横紋筋肉腫と診断された。主治医に「生存率は80%」と言われ、抗がん剤、放射線治療を続けた。小児病棟をおむつとTシャツ姿で駆け回り、母京子さん(43)=福岡市南区=は点滴を持って追いかけるのが大変だったという。

 ところが、入院から8カ月後に急変。脳に転移し、意識を失った。一時、意識が戻った時に「ママァ、おなかすいたー」と言ったのが最後の言葉となった。意識がないまま3カ月が過ぎ、「もう一度声を聞かせて」という家族の願いもむなしく、京子さんの腕の中で息絶えた。

 闘病中、病院を嫌うことは一度もなかった。「小さいながら全てに頑張っていた」と京子さん。

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 「『生きる』ということを教えてもらったよね。だから、ママも精いっぱい生きるよ」「お空の上では、思い切り遊んで、とびきりの笑顔で過ごしてほしいな」「ぎゅっとしたいよ」…。2~15歳で亡くなった24人の写真には、それぞれの家族のメッセージが添えられる。

 内藤さんは「かわいそうと思うかもしれないが、この子たちが頑張ったから治療が進歩してきた。『よく頑張ったね』と褒めてあげて」と願う。写真展は22日まで。問い合わせは内藤さんのメール=nob0314@hotmail.co.jp

=2019/02/10付 西日本新聞朝刊=

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