「九州は一つ」尽力 故川合辰雄さん 九博誘致にも奔走、悼む声

九経連会長などとして、九州の未来像などにも積極提言した川合辰雄さん=1995年、福岡市
九経連会長などとして、九州の未来像などにも積極提言した川合辰雄さん=1995年、福岡市
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 九州の経済や文化の発展にも尽力した元九州電力社長川合辰雄さんの訃報に、関係者からは悼む声が上がった。

 九電社長として、川内原発(鹿児島県薩摩川内市)稼働など供給体制の礎を築いた川合さん。3代後に社長に就いた鎌田迪貞(みちさだ)特別顧問は「お客さま目線を意識するよう指示し、風通しの良い職場づくりを進められた。明朗闊達(かったつ)な人でした」と振り返った。

 JR九州初代社長の石井幸孝さんは同社発足前、旧国鉄の人員削減に当たり、九電社長の川合さんに頼み込み、150人を採用してもらったことを覚えている。「地元最大の企業として思い切った決断をしていただいた」と感謝した。

 若手経営者育成にも取り組み、九州ニュービジネス協議会会長も務めた。協議会で交流があった「はせがわ」の長谷川裕一相談役は「九州の未来について熱く議論を交わしたことは忘れられない。年齢が2回りも違う私の意見にも耳を傾けてくれた」としのんだ。

 九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)の会長として、「九州国際空港」構想も推進した。麻生渡前福岡県知事は「『九州は一つ』という理念を強く打ち出し、定着させた」とたたえた。九経連の麻生泰会長は「会長在任時、九州経済が直面した重点課題へ対応するための道筋をつけられた。志を引き継ぎ、九州・日本の再興に貢献してまいりたい」とコメントした。

 九州国立博物館の誘致では、推進本部長として国などに積極的に働きかけ、2005年の開館にこぎ着けた。初代館長の三輪嘉六さんは「開館の時には『もう腰がたたん』とおっしゃっていた。それだけ精力的に活動され、九博設立の大きな基礎をつくっていただいた」とねぎらった。

 1984年、道路拡幅のため伐採される予定が、命乞いの短歌で救われた福岡市南区の「桧原桜(ひばるざくら)」。木につるされた短歌を川合さんが偶然見つけ、部下を通じて新聞社に取材を持ちかけた。記事を読んだ市長から返歌が寄せられ、伐採を免れた。短歌を詠んだ土居善胤(よしたね)さん(90)は「川合さんという偉丈夫に見つけられたことは、桧原桜にとって幸いだった」と話した。

=2019/03/06付 西日本新聞朝刊=

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