福岡沖地震14年「短期復興」伝える 熊本・西原村から視察

玄界島を訪れた熊本県西原村の住民を案内する細江四男美さん(中央)=2月17日、福岡市西区
玄界島を訪れた熊本県西原村の住民を案内する細江四男美さん(中央)=2月17日、福岡市西区
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 2005年の福岡沖地震で震源に最も近く、一時は全島民が本土に避難した玄界島。住民の団結力で苦境を乗り切り、3年後には「全島民帰島」の復興を遂げた。「短期復興の先進事例」として、全国の被災地から注目を浴び、今も島を訪れる人たちが絶えない。

 2月中旬。16年の熊本地震で被災した熊本県西原村の住民22人を細江四男美さん(64)=福岡市漁協玄界島支所会長=ら島民が明るい笑顔で出迎えた。

 島の復興の歩みをまとめた映像を見た村民からの質問は「たった3年間で復興できた理由」に集中。細江さんはその答えを「新たな住民組織」「復興への目標づくり」「団結力」のキーワードで示した。

 当時、島民に選挙で選ばれた13人で「復興対策検討委員会」を立ち上げ、復興の道筋を定めたことや、島全体の大切な事案は必ず1軒から1人が出席する島民総会で決めたことを紹介。区画整理を進めるため、ローンが残ったまま一部損壊した家屋の世帯にも解体を求め、朝夕説得して回ったことを明かした。細江さんは「行政任せではなく、島民が団結し、苦労して取り組んだ成果」と説明した。

 西原村大切畑地区の坂田明雄区長(72)は「うちは間もなく3年になるが、まだまだ家が建つ状況ではない。住民同士のコミュニケーションが大事だと思った」と勇気づけられたという。

 11年の東日本大震災の直後から岩手、宮城両県の被災者も島を訪問。「うちは死者がいなかったので、被害のレベルが違う。ただ、時間がたてば地域がばらばらになるので、未来に向けた住民同士の話し合いの場を早く設けることが大切と伝えてきた」と細江さん。

 同じ被災者として全国各地の被災地に心を寄せ、自分たちの復興の歩みを伝えていく。「それが、島の恩返し」。細江さんら島民は今後もその役割を担っていく。

=2019/03/21付 西日本新聞朝刊=

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