妻と生きた村離れぬ 熊本地震遺族代表・南阿蘇村の増田さん 自宅再建、復興へ前向く

亡くなった妻への思いを語る増田敬典さん=14日午前11時3分、熊本県庁
亡くなった妻への思いを語る増田敬典さん=14日午前11時3分、熊本県庁
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増田フミヨさん
増田フミヨさん
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 3年前のあの日、けんか一つしたことなかった夫婦は引き裂かれた。熊本県庁で14日にあった熊本地震の犠牲者追悼式。遺族代表の同県南阿蘇村の増田敬典さん(81)が、地震の本震で亡くなった妻フミヨさん=当時(79)=への思いを読み上げた。「悲しみは尽きないが、亡き妻のためにも復興の力になりたい」。今月末から自宅を再建する増田さんは前を向いた。

 結婚してちょうど60年目だった。実家同士が近く、中学時代には一緒に下校した1学年上の“姉さん女房”。農業を営みながら子ども2人を育て上げ、5人の孫にも恵まれた。

 その間、自宅周辺には国道325号の阿蘇大橋が開通し、東海大阿蘇キャンパスや観光施設などが次々に完成。「小さいながらも活気に満ち、美しく発展していく村の姿は、私たち夫婦の歴史そのもの」だった。

 2016年4月16日午前1時25分。その全てを奪う大きな揺れが襲った。

 自宅で寝ていた増田さんは背中にがれきが落ち、動けなくなった。隣にいるはずのフミヨさんの声も聞こえない。「2人ともしまいかな」。その後、消防団に助け出されたが、フミヨさんは息を引き取った。

 本当なら自宅にいないはずだった。15日に孫娘の東京大合格を祝うため上京するのを夫婦で楽しみにしていた。だが、14日夜に前震が発生。熊本空港に行ったが、飛行機は運休。自宅に戻り、フミヨさんは翌日に出直すための荷造りをしていた。

 「一緒に暮らそう」。地震後、東京に住む息子たちから声を掛けられた。それでも夫婦にとって「ふるさと」の村に残り、仮設住宅に暮らすことを選んだ。「自分一人が東京に行ったら寂しがるでしょう」

 ただ、仮設住宅での1人暮らしは慣れなかった。料理もうまく作れない。料理上手だったフミヨさんのだご汁の味が恋しかった。

 部屋の壁に「お母さんのお部屋」と記した紙を貼り、妻の遺影を七つ並べた。全壊した自宅から出てきたフミヨさんの大好きだった「くまモン」のぬいぐるみや共通の趣味だったゴルフクラブも置いた。「これからビール飲みますよ」。“7人”に語り掛け、寂しさを紛らわした。

 再建する自宅は年内には完成する。地震後、寺に預けたままのフミヨさんの遺骨も連れて帰り、こう語り掛けるつもりだ。「お母さん、やっと安心してくれたかね」

=2019/04/16付 西日本新聞朝刊=

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