ネットで資金 名刀復元 阿蘇神社の「蛍丸」戦後に不明 九州の2刀工奮闘 17日奉納 刀剣ブーム追い風に [大分県]

大分県竹田市の日本刀鍛錬場で、刀身になる鋼を熱する興梠宏明さん
大分県竹田市の日本刀鍛錬場で、刀身になる鋼を熱する興梠宏明さん
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昭和初期の阿蘇神社の絵はがきに使われた「蛍丸」の写真(阿蘇神社提供)
昭和初期の阿蘇神社の絵はがきに使われた「蛍丸」の写真(阿蘇神社提供)
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復元された蛍丸の刀身を研ぐ作業。阿蘇神社にいったん奉納した後に、鞘や柄を付ける計画だ
復元された蛍丸の刀身を研ぐ作業。阿蘇神社にいったん奉納した後に、鞘や柄を付ける計画だ
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福留裕晃さん
福留裕晃さん
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 阿蘇神社(熊本県阿蘇市)の宮司を務める阿蘇家の家宝で、戦後の混乱期に行方不明になった名刀「蛍丸」を九州出身の若手の刀工2人が“復活”させた。現存する資料を検証し、伝説に少しでも近づきたいと鍛えた一振り。刀剣ブームを追い風に、インターネットのクラウドファンディング(CF)を使った資金調達では、5時間で目標額を超えた。模写を意味する「写し」として、阿蘇神社に17日、奉納する。

 蛍丸は鎌倉時代末期の名工、来国俊(らいくにとし)の作で刃渡り3尺3寸(約1メートル)。阿蘇家の阿蘇惟澄(これずみ)は1336年の多々良浜(現福岡市)の合戦で足利尊氏を迎え撃ち、この愛刀で奮戦した。眠りに落ちると、夢に無数の蛍が現れて刀を覆った。目が覚めたとき、刃こぼれだらけだった蛍丸は、美しい姿に戻っていた-との伝説が残っている。

 復元に挑んだのは、福岡市早良区出身の福留裕晃さん(32)=刀工名「房幸」=と、大分県竹田市出身の興梠(こうろき)宏明さん(35)=同「房興」。2人は岐阜県関市で室町時代から続く刀匠、25代藤原兼房さんに弟子入り。文化庁の免許を受け、福留さんは2011年、興梠さんは14年に独立した。

 15年、興梠さんが竹田に日本刀鍛錬場を建てた際、地鎮祭を阿蘇神社の神職が執り行った。「何か記念になるものを作ろうと話していて、これだと思った」。関市に工房を構えていた福留さんも竹田に入り、神社の了解を得て夢が動きだした。

 全国に足を運び、蛍丸を魚拓のように墨で写した「押し形」を研究。神社の文献や写真から、すり減る前の大きさなどを割り出した。

   ■    ■

 問題は制作費だった。日本刀は刀工、研師、鞘(さや)職人、鍔(つば)などを作る金工(きんこう)らの技を結集し、やっと一振りが生まれる。今回は阿蘇神社への奉納分、関市の資料館への寄贈分、予備と、最低でも三振りが必要で、原材料費だけで500万円以上かかる。

 独立したとはいえ「刀鍛冶だけで食べていける人はわずか。鉄の彫刻などの仕事もやって何とかやっていける」(福留さん)という厳しい世界。たどり着いたのがCFだった。

 目標550万円。予備の一振りは最高額支援者への返礼品にしてPRすることにしたが、小口資金を集めるCFの目標額は50万円前後が平均的とされ、興梠さんは「高いハードル。たぶん無理だ」と思っていた。

 ところが、わずか5時間で突破。刀剣にちなんだキャラクターが活躍するゲーム「刀剣乱舞」の人気も追い風になったとみられ、若い女性を中心に、最終的には3193人から目標の8倍を超える4512万円が寄せられた。1口の最高額は270万円だった。

   ■    ■

 「恥ずかしいものは作れない」。昨年2月、阿蘇神社で打ち初め。福留さんも竹田に腰を据え、来る日も来る日も鋼を鍛えた。仕上がりに納得できず、最初から打ち直したこともある。興梠さんは「伝説の刀には遠く及ばないけれど、最後の焼き入れが成功した時はほっとした」と振り返る。

 阿蘇神社は昨年の熊本地震で大打撃を受けた。神殿など重要文化財6棟の復旧率は今年3月現在、約20%にとどまっており、「最近は地震との関連で取り上げられるのがほとんど。歴史性を再認識してもらう機会になれば」と期待する。

 師匠の藤原さんは、関市に贈られる刀を楽しみにしている。「2人とも本当に真面目に修業した弟子。刀工としてはこれからで、支援への感謝を忘れず精進してほしい」とエールを送った。

 CFの資金の残りは今後、刀剣に関するイベント開催や若手刀工の支援などに活用するという。


=2017/06/14付 西日本新聞夕刊=

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