【新年特集】日本一早い始発列車(3) 憧れの筑後軌道 昭和3年に廃止 [大分県]

現在の日田市豆田地区にあった停車場、大正末期ごろ
現在の日田市豆田地区にあった停車場、大正末期ごろ
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筑後軌道の線路上で太鼓をたたく大分県日田市の山間部の女性や子どもたち。待ちに待った開通を祝ったとみられる(1916年ごろ、筑後軌道調査会提供)
筑後軌道の線路上で太鼓をたたく大分県日田市の山間部の女性や子どもたち。待ちに待った開通を祝ったとみられる(1916年ごろ、筑後軌道調査会提供)
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「どうしても乗りたかった」

 2、3歳の頃だったか。行商に行く父に、一緒に連れて行ってと泣いて頼んだ。「どうしても筑後軌道に乗りたくて一生懸命じゃった」。日田市川下の江藤柳蔵さん(94)は、うっすらと記憶に残る90年前のことを懐かしそうに語る。

 生まれ育った川下は、福岡県うきは市との県境近く。家のそばを筑後川がゆったりと流れ、筑後軌道の長谷(ながたに)(長渓)駅があった。川で漁業に従事していた父は時々、取れたアユを保木(うきは市)の旅館に売りに行った。そんなときに筑後軌道を使っていたという。

 日田市史や同市の研究グループ「筑後軌道調査会」によると、筑後軌道は、豆田地区の豆田駅まで延長開業する3年前には長谷駅に達していた。構内には機関車を方向転換させる転車台もあったらしい。

 「にぎやかだったねえ」。江藤さんは当時を振り返る。駅周辺には現在の約3倍の70世帯ほどが住み、通りには菓子店や衣料品店などが並んでいた。川には対岸の同市夜明地区とを結ぶ渡し舟や、日田杉を組んだいかだなどが行き交い、駅に汽車が着くたびに人や荷物が出入りして活気に満ちていた。

 物資輸送とともに豆田や久留米方面への行商、娯楽の足としても親しまれた筑後軌道。長谷駅から豆田に向かい加々鶴トンネル付近に差し掛かると、上り坂に小型機関車は力を失い、「降りて汽車を押してくれ」と乗客が頼まれることもあったという。ほのぼのとした当時の様子が伝わる。

 昭和になり、久大線の延伸と入れ替わるように筑後軌道は姿を消した。大雨で川があふれるたびに、少しずつ集落の人たちは中心部の町へ出て行った。橋ができ、ダムができると舟の姿もみるみる減っていった。

 江藤さんには心に残る風景がある。駅構内にうずたかく積まれた石炭の燃えがらの山に咲いていた、たくさんの月見草だ。「あれは、きれかったー」。時間を忘れて眺めた頃を思い出したのか、少年のような笑顔を見せた。

=2018/01/01付 西日本新聞 新年特集(大分・日田玖珠)=

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