日本一早い始発列車~日豊線ひと模様(中) 早く、家族に会いたい [大分県]

小倉では多くの人が下車し、それぞれの行き先へと向かった
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 家族に、会いたい。1分でも早く。それならば、1本でも早い列車で。午前5時34分、南小倉駅(北九州市小倉北区)。5日分の着替えを詰め込んだスーツケースを抱え、永山盛史さん(50)は「日本一早い始発列車」に乗った。

 妻と3人の子どもが暮らす静岡県富士市を離れて3年がたつ。単身赴任だ。製糸業の会社は帰省のための休みを配慮してくれる。例年は半年に一度。でも、今年は2カ月に一度帰ることができた。

 妊娠中の次女(26)が入院してもう4カ月になる。状態が思わしくなかった。夏は気が気でなかったが、容体は安定したと聞いた。今回は落ち着いた気持ちで、この列車に乗られた。

 男の子が1月半ばに生まれる。家族が増えるのは心の支えになる。最近は「若い人のために頑張りたい」という気持ちが強くなってきた。小倉駅(同)で降りて新幹線へ向かった。

 同じ小倉駅で乗った20代男性は、気の置けない2人とカラオケルームで一晩過ごした。仲間と歌い明かした興奮が、まだ続いている。1人になると、寂しさがじんわりとやって来る。

 春になれば東京に行く。もう、自分が楽しいだけじゃ通用しない。公務員になるのだから。「あいつらとも、もうあんまり遊べなくなるんだよな」。資格予備校で学んだことより、あいつらから教えてもらったことの方が多いんだけど-。

   ◇   ◇

 別の車両で女性(73)は、ふうと座席に腰を下ろした。古里の愛媛県砥部町に行った帰り。フェリーで小倉港に着いたばかりだ。今回の帰郷は、正月を迎えるために叔母の家を整えるのが目的。年に2回は帰る。傍らには愛媛の名菓「一六タルト」。家で待つ、釣り好きの夫の顔が浮かぶ。

 2歳のとき母親を乳がんで亡くした。小学校のころに父親は再婚。新しい母親と反りが合わず、中学卒業と同時に町を出た。商店を営む親戚を頼りに北九州市門司区に来て、住み込みで働きながら夜間の定時制高校に通った。24歳で結婚し、門司区に居を構えた。

 「人生は十人十色。いろいろあるわね」。半生の記憶に、実家の近所に住む叔母の存在は欠かせない。母親同然に面倒を見てくれた。その叔母も80代になり、体調を崩し入院が続く。

 自分も寄る年波には勝てない。おととし、左足を悪くした。気圧と関係するのか、台風が来ると痛みが強くなる。去年は福岡も大分も災害が相次いだ。夫と2人の暮らし。新しい1年は穏やかならいい。多くは望まない。健康で平凡な日々こそ、いとおしい。

=2018/01/09付 西日本新聞(大分・日田玖珠)=

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