江戸期に日田で活躍 俳人「葵亭」の供養碑を移設、お披露目 住民ら「後世に伝えたい」 [大分県]

移設された朧塚の前で記念写真に納まる住民たち
移設された朧塚の前で記念写真に納まる住民たち
写真を見る
クレーンで移設される朧塚
クレーンで移設される朧塚
写真を見る

 江戸時代に日田で活躍した俳人佐藤葵亭(きてい)(1769~1825)の供養碑=朧塚(おぼろづか)=が、日田市中ノ島町にある子孫宅の敷地から、約100メートル離れた島内休憩所(島内資料館)裏の道路沿いに移設された。地元自治会や市内の俳句関係者が、お披露目の式典を開いた。

 今年10~11月に県内で開かれる国民文化祭で、日田市では俳句大会が開かれることから、「全国的にもレベルが高いといわれた日田の俳諧の先人を知ってもらおう」と、住民らでつくる委員会が、人の目に触れやすい場所への移設を計画。市内の日田クレーン工業と松岡ガーデンが協力した。

 「天領日田の俳諧と俳人たち」(大内初夫著)などによると、葵亭は、私塾「咸宜園(かんぎえん)」を開いた広瀬淡窓の伯父で俳諧の道を究めた広瀬月化の弟子だった。数多い弟子の中で俳諧の才能は随一で、東北地方にまでその名を知られたといわれる。

 朧塚は葵亭の七回忌に弟子たちが建てたとされる石碑で、土台を含め高さ約150センチ、重さ約700キロ。葵亭が病床で詠んだ「いかならん寝釈迦もちかし身の朧」の句から「朧塚」と呼ばれ、葵亭の略歴や愛用の印鑑の印影も刻まれている。碑の書体や全体の形が美しく「日田の石造美術の名品」と称賛する声もある。

 朧塚はかつて、同市隈の寺にあったが移転を繰り返して1981年に子孫宅の庭に移された。個人宅にあったため、その存在はほとんど知られていなかった。今年2月から移設作業や案内板の設置を進めてきた。

 今月2日にあった式典には約20人が出席した。日田市で一樹俳句会を主宰する森明以子会長(78)は「文化遺産として大切に守り100年、200年先の後世に伝えたい」と話した。

=2018/05/08付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]