別府の別荘文化「曳家」で保存 「茶房信濃屋」建物を移動 本年度中にも営業再開 [大分県]

鹿鳴館をイメージした内装。格子戸からは木漏れ日が届き落ち着いた雰囲気=2016年4月
鹿鳴館をイメージした内装。格子戸からは木漏れ日が届き落ち着いた雰囲気=2016年4月
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曳家に向け準備が進む「茶房信濃屋」。手前が県道亀川別府線
曳家に向け準備が進む「茶房信濃屋」。手前が県道亀川別府線
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 昭和初期に別荘として建築され、県道拡幅工事に伴って解体が検討されていた別府市西野口町の「茶房信濃屋」が、「曳家(ひきや)」という手法で建物の向きを変えることでそのまま残せることになった。今月下旬から工事が始まり、本年度中にも営業を再開する。往時の別荘文化を伝える建築物が次第に姿を消す中、歴史愛好家や常連客らは安堵(あんど)しているという。

 JR別府駅に近い「茶房信濃屋」は1928年ごろ、福岡県田川市にあった大豊炭坑の炭坑主の別荘として建てられた近代和風建築。木造2階建てで、入り母屋の屋根と格子戸が特徴。奥行き7メートルほどの庭には四季折々の木々が植栽された。66年から旅館として使われ、81年には、父親から引き継いだオーナーの石川美巴子さん(71)が、昭和初期に国賓をもてなした「鹿鳴館」をイメージしたレトロな雰囲気の飲食店に衣替えした。

 ただ、店の東側に接して走る県道亀川別府線の拡幅工事が延伸。計画では敷地に8メートルほど道が入り込み、玄関や庭などが引っかかることになり、解体か一部解体、移築を迫られることになった。石川さんの長男で1級建築士の彰久さん(48)らが2015年12月から保存に向けて県側と交渉を続けてきたが、難航。そこで建物の向きを変えれば壊さず残せると発案。西側に隣接する民間の土地を購入し、玄関口が東側に向く建物自体を時計回りに90度回転させて南向きにすることで、店を壊さずに残すことにした。

 回転させるために用いるのが「曳家」という手法だ。建物自体を基礎から切り離し、専用レールに乗せて引き、建物そのものを動かす。工事は今月25日ごろから7~8月までの予定。建物の移動が終われば庭木などを植え、17年10月から休業していた店を本年度中にも再開する予定。

 別府市には、大正から昭和初期にかけ、県内外の資産家による別荘が数多く建築された。多くの経済人や文化人なども保養で訪れ、独特の別荘文化が生まれた。しかし福岡県筑豊地方の炭鉱王伊藤伝右衛門が、妻で歌人の柳原白蓮のために建てた「赤銅御殿」、同じ筑豊の炭鉱王麻生太吉が建てた旧麻生別荘、中津市出身の実業家和田豊治の「中山別荘」などはすでに取り壊され、別荘文化は色あせつつあった。

 美巴子さんは「店には地元だけでなく、福岡県の北九州や筑豊などのお客さんも多く、心配する声が多く寄せられていた。数少なくなった別荘文化を感じられる店を残せることになり、ほっとしている。今後もゆっくりのんびりできる雰囲気でお客さんをもてなしていきたい」と話した。

=2018/05/24付 西日本新聞朝刊=

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