思い出かみしめ麦収穫 中津・耶馬渓町の住民グループ 山崩れで犠牲の岩下さんしのぶ [大分県]

標高400メートルにある広大な麦畑
標高400メートルにある広大な麦畑
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麦を収穫する松本聡雄さん
麦を収穫する松本聡雄さん
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 中津市耶馬渓町金吉の大規模な山崩れで犠牲になった岩下義則さん=当時(45)=は、一度は途絶えた「耶馬渓うどん」を守るため、無農薬の小麦を育てる住民有志グループの一人だった。今年も黄金色に色づいた麦の刈り取りが7日に行われ、メンバー7人は岩下さんを思いながら作業に取り組んだ。

 同市耶馬渓町の標高400メートルにある1万5千平方メートルの麦畑。高齢化で生産者が減り、名物「耶馬渓うどん」の販売が中止になったことから、下郷農協(同町)の松本聡雄(とみお)さん(54)が知人に呼び掛け、2011年から麦の栽培を始めた。酪農家が手放した土地を活用。無農薬にこだわり、有機肥料で土地を肥やして麦を育て、毎年小麦粉4トンをつくってきた。

 メンバーは岩下さんの姿をはっきりと覚えている。面倒な準備作業を嫌な顔一つせず引き受け、イベント開催に必要な竹や大木をチェーンソーで切って軽々と運んだ。土壌改良のために畑にまく石灰を小分けしたときには、袋が破れてあふれ出し、必死で押さえた岩下さんは全身真っ白になった。皆で腹を抱えて笑った。

 1月初旬には、機械を使って畑の除草作業を行った。「これでおいしい小麦ができるな」。何げない会話をしたのが、メンバーが集まった最後の日となった。

 山崩れ発生翌日の4月12日、メンバーの玉麻涼子さん(62)は町内の施設で、動かぬ岩下さんと“対面”し、体に付いていた泥を拭き取った。相良睦さん(52)は、自分が愛用していた大きめのジャージーとジャンパーを着せてあげた。「まるで眠っているような顔を見て、きちんとお別れが言えて良かった」と振り返る。

 ただ、メンバーは頭で事態を理解していても、心の整理はついていない。岩下さんがよく歌っていたデュエット曲「ロンリー・チャップリン」がカラオケで流れると、なぜここにいないのかと、胸に穴が開いたような気持ちになる。「遅れてごめん」と笑いながら、ひょこっと顔を出すのではと思うという。

 松本さんは「災害を風化させないためにも、義則ちゃんとの思い出を語りながら、これからも麦を作っていく」と語りながら、風に揺れる麦の収穫を続けた。収穫が終われば、岩下さんの墓前に報告し、麦を供えるつもりだ。

=2018/06/08付 西日本新聞朝刊=

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