160年前の洪水、原因は「木の伐採」だった 広瀬旭荘の手紙を初公開 [大分県]

160年前の水害について書いた広瀬旭荘の手紙。対策をしないと「百年後は日田が衰退する」と警告している
160年前の水害について書いた広瀬旭荘の手紙。対策をしないと「百年後は日田が衰退する」と警告している
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手紙で長州・萩の洪水対策について記した部分(広瀬資料館提供)
手紙で長州・萩の洪水対策について記した部分(広瀬資料館提供)
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旭荘の肖像画(広瀬資料館提供)
旭荘の肖像画(広瀬資料館提供)
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 160年前に日田市豆田町を襲った洪水被害について、江戸時代の私塾「咸宜園」の2代目塾主、広瀬旭荘(1807~63)が、その原因を「木の伐採にある」と指摘した手紙が、豆田町の広瀬資料館で初めて公開されている。31日まで。

 手紙は、3代目塾主広瀬青邨(せいそん)が、安政5(1858)年5月に花月川が氾濫した災害の状況を、当時、大坂(大阪府)にいた旭荘に伝えた手紙への返信で同6月16日付。

 同館によると、旭荘は洪水の原因を「山の木を伐(き)り荒らしたためと考えられる」と指摘し、「このような災害が続けば、池や田んぼは消滅して日田の盛衰に関わる」と警告している。さらに、このことを代官や庄屋らに伝えるよう求め、そうしないと「百年後には大きく衰える」と指摘している。対策として「(長州の)萩では六里(約24キロ)四方の草木はみだりに切らせません」と伝えている。

 同館担当者は「江戸時代の人は災害に敏感だったことが手紙から伝わる。豪雨が相次ぐ現代も手紙に学ぶものがあるはずだ」と話す。

=2018/08/17付 西日本新聞朝刊=

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