私財投じ臼杵に図書館建設 三菱の“大番頭”荘田平五郎 歴史資料館で企画展 [大分県]

荘田平五郎(臼杵市蔵)
荘田平五郎(臼杵市蔵)
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「荘田平五郎記念こども図書館」として活用されている旧臼杵図書館
「荘田平五郎記念こども図書館」として活用されている旧臼杵図書館
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完成直後の臼杵図書館=1918年12月(臼杵市蔵)
完成直後の臼杵図書館=1918年12月(臼杵市蔵)
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臼杵図書館について、学校付属ではなく公共図書館にと求める荘田平五郎の手紙
臼杵図書館について、学校付属ではなく公共図書館にと求める荘田平五郎の手紙
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 日本の近代化に貢献した臼杵出身の人物に焦点を当てた企画展「文化の光に浴せよ~近代臼杵人の志」が、臼杵市歴史資料館で開かれている。中でも注目は、展示の中心を占める士族出身の実業家、荘田平五郎(1847~1922)だ。中央で成功してなお故郷を思い続けた荘田からは、当時の日本人にあった心のありようが垣間見える。

 同展は明治維新150年に合わせた企画。荘田のほか第5代日銀総裁山本達雄、作家野上弥生子ら24人を48点の史料で紹介している。藩校教育を原点に政治、経済、文化など幅広く人材を輩出した臼杵の教育風土や、近代臼杵人の業績、人脈に触れることができる。

 荘田は慶応義塾の教師から三菱に転じた。福沢諭吉の推挙があったともいう。長崎造船所長など要職を歴任し三菱の大番頭と呼ばれ、「キリンビール」の名付け親でもある。東京・丸の内ビジネス街の開発にも関わり、三菱だけでなく日本財界の基礎を築いた。

 三菱を退く際に私財を投じて故郷に建てたのが、臼杵図書館だ。木造2階建て、延べ床面積約390平方メートル。1918(大正7)年に完成した入り母屋造りの重厚な建物は、100年たった今も「こども図書館」として現役だ。玄関脇の碑には「故郷臼杵よ、文化の光に浴せよ、そしてより美しい臼杵に成長せよ」という荘田の言葉を刻む。

 「日本の近代化と共に歩んだ荘田は、その進歩が故郷臼杵にも及んでほしいと願いました。それには教育が重要であり、そのインフラとして図書館を特に重視したのです」。同資料館の史料専門員、松原勝也さんは説明する。

 展示品には、図書館の設計図や荘田が地元とやりとりした手紙などが並ぶ。学校付属では利用者が偏るので誰でも利用できる公共図書館にすべきだと助言したり、図書館建設を、美名の私物化と誤解されないよう気を配ったりするなど、荘田の構想は細やかで先見性に富む。

 藩儒の家に生まれた荘田は、藩校で学問と教養の基礎を培った。松原さんによると、「故郷に育ててもらった」という思いを寄せ続けるのは、この時代、多くの臼杵人に共通する特徴だという。荘田もそんな臼杵人の一人だった。

    ◇      ◇

■諭吉救った臼杵藩

 企画展「文化の光に浴せよ~近代臼杵人の志」では、福沢諭吉と臼杵の縁も紹介されている。

 大阪の蘭学塾で学んでいた諭吉は、兄の死去によって家督を継ぐが40両の借金も引き継いだ。学問を諦めきれない諭吉は、再び大阪に出るため借金清算に苦心する。そのとき、膨大な蔵書を15両で買い取ってくれたのが臼杵藩主稲葉家だった。まとまった金ができ借金返済にめどが立つ。

 仲立ちをしたのは諭吉の中津での先生であり、当時臼杵藩に迎えられていた白石照山という儒学者だった。藩が買い取った蔵書は現在、100冊余りが確認されており、一部が今回展示されている。こうした縁もあって臼杵と慶応義塾のパイプが生まれ、荘田平五郎をはじめ多くの臼杵の人材が慶応義塾に進んだ。臼杵藩最後の藩主も塾生だ。

 「白石を通じた臼杵との接点がなければ、後の福沢諭吉はなかったかもしれないし、慶応の臼杵人脈も生まれなかったでしょう。歴史の不思議な巡り合わせを感じます」。臼杵市歴史資料館の史料専門員、松原勝也さんはそう話す。

 ◇「文化の光に浴せよ~近代臼杵人の志」展 11月26日まで。期間中、資料を解説するギャラリートークがある(9月23日、10月14日、11月4日、いずれも午前10時半から)。臼杵市歴史資料館=0972(62)2882。火曜日休館。

=2018/09/13付 西日本新聞朝刊=

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