杵築城跡の堀に格子状石積み 地盤を強化か 市教委「城の解体法分かる」 [大分県]

杵築城跡発掘調査で確認された、天守の入り口脇の石垣(手前)や堀の石積み
杵築城跡発掘調査で確認された、天守の入り口脇の石垣(手前)や堀の石積み
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 杵築市教育委員会が進めている杵築城跡(同市杵築)の発掘調査で、天守の入り口脇の石垣や、石積みが残る堀が確認された。石積みは、江戸幕府の一国一城令で城を取り壊した際、解体部材を効率よく搬出するために埋めた堀の地盤を補強する目的で築かれたとみられる。城の解体方法が具体的に分かる遺構は全国的にも珍しく、13日に現地説明会を開き、一般公開する。

 杵築(木付)城は1250年、当時豊後を治めていた大友氏の2代目の子、親重が木付氏を名乗り、現在の同市鴨川の竹ノ尾に築城。1394年、木付頼直が、現在発掘調査を進めている高台に移転した。豊臣秀吉による全国統一後の1593年に木付氏支配が終わり、1615年の一国一城令に伴って取り壊された。

 発掘調査は国指定史跡を目指し、昨年9月に始まった。その過程で、天守入り口(約6メートル)前の石垣と、これに接した堀の跡を確認。堀部分の深さ約1・2メートルのところに、横20メートル、縦2メートル以上にわたり格子状に石が置かれているのを発見した。建築部材搬出や作業場所のために堀を土砂などで埋める際、地盤が安定する補強材として地中に石を置いたとみられるという。

 木付氏支配終焉(しゅうえん)から一国一城令までの間に、入城した複数の領主によって数回改修されたことを示す石垣や瓦なども確認され「わずか20年ほどの間に変遷した木付城の具体的な様子が分かる貴重な資料」(同市教委)という。

 同市教委文化・スポーツ課の吉田和彦さんは「海岸の埋め立てに石を格子状に積むことはあるが、城の取り壊しに用いられたケースはあまり確認されていない。作業の効率性を求める当時の担当者の苦労がにじんでいる」と話している。

 現地説明会は午前10時半から。無料。同課=0978(63)5558。

=2018/10/06付 西日本新聞朝刊=

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