薄幸の歌人、江口章子の記念公園 豊後高田で28日落成式 白秋2番目の妻、孤独な晩年 [大分県]

完成した江口章子記念公園。管理する松羽会老人クラブは「多くの人に訪れてほしい」と話す
完成した江口章子記念公園。管理する松羽会老人クラブは「多くの人に訪れてほしい」と話す
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20歳のころの江口章子
20歳のころの江口章子
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北原白秋(右)と妻の章子=1917年冬、東京・小岩
北原白秋(右)と妻の章子=1917年冬、東京・小岩
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 詩人北原白秋(1885~1942)の2番目の妻で、薄幸の歌人といわれる江口章子(あやこ)(1888~1946)の出身地、豊後高田市香々地の生家跡に記念公園が完成し、地元有志による落成式が28日、開催される。白秋との離婚後は心の病となるなど孤独な晩年を過ごしたが、地元関係者は「香々地が生んだ全国的歌人。白秋を愛し続けた江口章子の再評価のためにも顕彰活動を続けていきたい」と意気込む。

 江口は1888年、周防灘に面した旧岬村(旧豊後高田市香々地)の裕福な造り酒屋の三女として生まれた。県立大分高等女学校卒業後、弁護士と結婚するが、9年ほどで離婚。女性運動家の平塚らいてうを頼って上京した際、白秋と出会い、結婚する。当時、実家が火災で全焼するなどして極貧だった白秋を支え、傑作の一つされる「雀(すずめ)の卵」の創作に貢献したとされる。北原白秋生家・記念館(福岡県柳川市)の大橋鉄雄館長は「章子は自分の着物を売り払って生活費に充てるなど、まさに“糟糠(そうこう)の妻”だった。彼女がいなければ『雀の卵』はなかった」と評価する。

 正式な結婚生活は約2年で破綻し、その後は結婚、離婚を繰り返しながら各地を流転する。晩年は心の病を抱え、親戚に宛てたはがきに「ふるさとの 香々地にかへり 泣かむものか 生まれし砂に 顔はあてつゝ」と望郷の念を吐露している。1945年に生家に帰ったが、居場所はなかった。座敷の一角に軟禁され、外出も許されない中、46年に栄養失調などで亡くなる。

 80年代前半に生家が取り壊された後、地元の老人クラブが年数回草刈りをし、花などを植えて管理してきた。近年、彼女を慕うファンの訪問が増えたことから、地元で顕彰施設を求める機運が高まり、市は本年度、生家跡に記念公園設置を決めた。

 公園は約600平方メートル。土地は大分市に住む子孫の女性が無償で貸与。地元産の石材(高さ2・5メートル)を使った歌碑を設置したのをはじめ、生家にあった樹齢100年以上のソテツ、イヌマキ、井戸跡も残した。事業費は約400万円。

 「ひとときの 君が友とて 生まれ来て 女のいのち まことささげつ」

 白秋の死を知り作った短歌とされる。長年、生家跡を守り続けている松羽会老人クラブの江畠一信代表(71)は「恋多き女性とも悪妻とも評される章子だが、息を引き取った枕元には手あかまみれの白秋の『雀百首』があったと伝わる。白秋へのいちずな思いを多くの人に知ってもらいたい」と話した。

=2018/10/27付 西日本新聞朝刊=

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