姫島車えび養殖の車エビ 知っちょくれ!うちん一品 あの産品は、いま(5)

姫島の車エビ養殖会社で汗を流し、「故郷で生活する幸せを感じる」と話す神野昌平さん
姫島の車エビ養殖会社で汗を流し、「故郷で生活する幸せを感じる」と話す神野昌平さん
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姫島村に広がる車エビ養殖池
姫島村に広がる車エビ養殖池
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 「自衛隊でしごかれたんで。養殖池で泳いだり、潜ったりするのは苦にならんのです」

 島の宝 さらに大きく

 がっしりとした体つきとは対照的な、人なつっこい笑顔が印象的だ。神野昌平さん(30)は大分県姫島村の第三セクター「姫島車えび養殖」で働く。一村一品運動の19年前、1960(昭和35)年に始まった村の車エビ養殖は、漁業と並ぶ基幹産業。プリプリとした弾力のある食感と、濃縮された甘み。市場の姫島産への評価は高く、バブル期には「築地(東京)の相場は姫島が決める」とまで言われた。

 それから約30年。会社は今も、村民に貴重な働き場所を提供している。

   ◇   ◇

 姫島生まれの神野さん。地元の高校を卒業後、愛知県の工場で働いたが、「うわべだけの人間関係になじめず」に退社。知人の勧めで海上自衛隊に入隊し、長崎県大村市の基地でヘリコプターの整備を担当した。整備士も日々の訓練は激しい。10~20キロを泳ぎ、カッターボートを全力で1時間こぎ続ける…。手はまめだらけ、尻はすれて血がにじんだ。子どもの頃、毎日遊んだ海。「海のおかげで丈夫だったけど、体力がさらについた」と話す。

 30歳を前にして、姫島にいる両親を、長男として放っておけなかった。妻の恵理子さん(29)と子ども4人を連れ、2年前に帰島。養殖会社はすぐに採用してくれた。小さな島に会社があるありがたみを感じた。

 仕事は、養殖池の清掃作業がメイン。最深部は4メートルほどある池の底で、たまったえさの残りやふんを吸引する。特に夏場は藻が茂りやすい。これがエビのストレスになるため、作業は欠かせない。1日約6時間、休憩を挟みながら、ずっと浮いたり、潜ったり。ベテランでもきついのだが、自衛隊で鍛えたおかげもあるのだろう。「自分はまだ若いですし」と涼しい顔だ。

 でも、自分にひそかにハードルを課している。潜水中に使う酸素ボンベの残量をいかに多く残すか。多いほど、無駄な動きをせずに作業している証拠になるからだ。2年前と比べて残量は格段に増えている。

   ◇   ◇

 子どもが4人の神野さん。“イクメン”を気取るつもりはないけれど、小学校や保育園の行事には、できるだけ参加してあげたい-。こんな理由でも、気兼ねなく休める職場の雰囲気にも感謝する。幼い頃からの知り合いも多く、働きやすさを実感する。

 会社の車エビ生産量は横ばい。順風満帆とはいえない。一方で、姫島のブランド力は健在だ。「先輩たちが苦労して築き上げた『姫島産』の大看板を、俺たちがさらに大きくする」。光り輝く車エビを手に取るたびに、思いは強くなっていく。

 

 ◆姫島車えび養殖 民間業者が撤退した車エビ養殖事業を引き継ぐ形で、姫島村や有志が出資して1965(昭和40)年に発足。技術改善を進めて高密度でのエビ生産に成功、89年度には過去最高の250トンを記録した。近年は冷凍真空パックを開発し、通年販売に力を入れる。

 

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=2017/01/12付 =

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