【日日是好日】水が流れ下るように歩む 羅漢寺住職 太田英華

 春を告げる嵐がやって来ました。今年の冬の寒さが格別だったので、少し気合を入れて寝ている生き物を起こそうとしたのか、春の嵐は大暴れでした。夜中の強風にはさすがになすすべもなく、ただ頭から布団をかぶり、夜が明けるのを待ちました。

 すべてが飛んで行ってしまったのだろうと諦め、迎えた翌朝、不思議な光景が目の前に広がっていました。本堂前の花瓶は飛ばされていたものの、横にある小さなロウソク立てや線香立ては、動いた形跡すらありません。

 いつも使っている大きなちり取りが見あたりませんが、近くの花瓶はそのままです。探してみると、ちり取りは谷に落ちていました。どうやってちり取りだけが、吹き飛ばされていったのだろう。不思議です。大暴れの春の嵐は、いたずら心をお持ちでした。

 3月は卒業シーズン。私も今から5年前の3月、網代傘をかぶり行脚姿で修行道場の尼僧堂から帰山したのでした。歩いて帰る計画を断念し、電車で帰ってきました。

 修行道場での約5年間は、一度も帰山せずに修行しておりましたので、久しぶりの羅漢寺は剃髪(ていはつ)したばかりの頃と違い、感慨無量でした。「さあ、どのようにここで生きていこう」と、無漏屈(むろくつ)で決意を新たにしたことを思い出します。

 思えば、自分の剃髪姿になじめないまま名古屋の修行道場へ赴いて以来、鏡を見ることもなく過ごした5年間でした。ですから帰山した当初、鏡の中の自分を見て「そうだった」と改めて僧であることに納得しておりました。今では鏡の中の私は、もう当たり前の自分の姿です。

 禅宗の修行道場では、特別な時に「小参(しょうさん)」と言って皆の前で一対一で堂頭老師に質問ができます。警策を持って立っておられる堂頭老師に向かって、合掌し歩いて近づきながら申し上げるのです。

 「川の流れに身を任せ、私は剃髪して参りました。これからどのように進んだらよいのでしょう」

 これは尼僧堂で私が初めて発した質問です。堂頭老師はにっことほほ笑み、「そのまま、流れに随(したが)って行きなさい」とお応えくださり、警策で軽く私の肩をたたかれました。

 「随流去(ずいりゅうこ)」。山から出るならならば、川の流れに随って行けばよい。山から出ることは、迷いから逃れることの例えです。水は上から下に流れるのが真理であるから、真理に随って歩いていくとも言えます。自分の心の流れをよく見極め、道を求めるという目標をはっきりさせた上で、流れに随って行く。

 今年は剃髪して10年目。大きな節目でもあります。春の嵐もあり、豪雨や寒波もある。人生の流れに身を任せ、ごつごつした私が丸くなるまで、これからどんな激流が待っているのでしょう。

 まずは目の前の花粉症から乗り切ろうと思います。10年前の老師のお言葉を思い出し、かゆい目をこすりました。

 【略歴】1967年、羅漢寺27代住職の娘として生まれる。高校卒業後、大学進学のため上京。20代半ばから40歳で出家するまでフラメンコダンサーとして活動。出家後、愛知県の尼僧専門修行道場で約5年間、僧堂修行し、2013年3月に帰山。現在、羅漢寺28代住職として寺を守る。

=2018/03/11付 西日本新聞朝刊=

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