国民投票、汚染で得た経験 東原正明氏

福岡大法学部准教授 東原 正明氏
福岡大法学部准教授 東原 正明氏
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◆反原発国家オーストリア

 中欧の小国であるオーストリアは、1978年に国民投票を行い、国民が自らの意思で脱原発を決めた国である。それは、スリーマイルアイランド(79年)やチェルノブイリ(86年)の原発事故よりも前のことであった。

 戦後のオーストリアでは、社会党と国民党という左右の二大政党がともに「原子力の平和利用」に賛成の立場であった。両党のもとで、ウィーン近郊のツヴェンテンドルフに最初の原発建設が決定され、建設が開始された。一方、農民や自然保護組織などの保守的な層から原発建設反対運動は始まった。その後、左翼の学生にも広がった。

 左派の社会党政権は原発推進の立場を明確化するとともに、ツヴェンテンドルフ原発稼働の是非を問う国民投票の実施を決めた。国民の間に原発の是非に関する議論が広がり、投票結果は、50・5%が稼働反対、49・5%が賛成と、僅差ながら反対が賛成を上回った。この直後、社会党はオーストリアでの原子力の利用を認めないとする法案を国民議会に提出し、「原子力禁止法」として全会一致で可決された。

 これで原発をめぐる議論が決着したわけではなかった。経営者団体や、雇用の確保といった観点から労働組合も引き続き稼働を求めた。議論に終止符を打ったのはチェルノブイリ原発事故である。事故によってオーストリアの国土も汚染され、「チェルノブイリはオーストリアを『反原発国家』へと変えた」(オーストリアの研究者アンドレアス・クーフラー氏)のであった。

 その後の歴代連邦政府は「積極的な反原発政策」を掲げ、周辺諸国の原発について欧州司法裁判所に訴えるなど主張は明確である。現在の環境大臣(国民党)は「ヨーロッパに原子力の居場所があってはならない」とまで述べ、小国の発するメッセージは強烈だ。国民投票を通じて国民は原発について学び、主体的にその立場を決定した。曲折があったとはいえ、連邦政府もまた、その民意に応える政策を推進してきた。EU加盟国としての制約や、極右政党が原発を保有する隣国を批判する際に反原発を主張するなど、問題点はある。それでもなお国を二分する議論を経て、国土の放射能汚染を経験したのちに、40年かけてたどり着いたオーストリアの結論から学ぶべきことは多い。

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 東原 正明(ひがしはら・まさあき)福岡大法学部准教授 1973年生まれ。福岡市出身。北海学園大大学院単位取得満期退学。博士(法学)。オーストリア抵抗文書館客員研究員などを経て、現職。専門は政治学。

=2019/03/10付 西日本新聞朝刊=

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