社会はタテマエ、実感乏しく 佐藤直樹氏

九州工業大名誉教授 佐藤 直樹氏
九州工業大名誉教授 佐藤 直樹氏
写真を見る

◆バイトテロと「世間」

 若者の「バイトテロ」が止まらない。1~2月にかけて「くら寿司」「セブン-イレブン」「大戸屋」などで不適切動画の投稿がつぎつぎと発覚。今回被害を受けた店の運営会社などは、アルバイト店員の刑事告訴や損害賠償請求など、法的措置を検討しているという。

 その代償はきわめて大きいのに、いったいなぜ頻発するのか? 若者の悪ふざけは昔からあったという意見がある。アルバイトの劣悪な労働条件への抗議だとみる人もいる。ネット社会に特有の現象だとする見方もある。どれも外れていないと思うが、私が気になるのは、最近の「インスタ映え」と同じく、仲間ウチでの「承認欲求」の肥大化である。

 もちろん、他人から認められたいという感情は誰でもあると思う。だが、それが今や、とくに若者の間で強迫的なぐらいに広がっている。評価の基準は、「いいね」がどれだけ獲得できるか、どれだけ多くの人に注目されるか、どれだけ派手に受けるか、である。

 しかも奇妙なのは、ネットは世界に開かれているという意味で「社会」に他ならないのだが、これに向けて発信している自覚がまるでないことだ。仲間ウチの会員制交流サイト(SNS)、つまり自分の「世間」にしか関心がなく、そこで受けることしか考えていない。このため行動がどんどんエスカレートし過激になる。

 とはいえ、これは若者だけに特有の問題ではない。世間は千年以上の伝統があるが、そもそも社会は江戸時代にはなく、近代化=西欧化によって外部からつけ加わった舶来品にすぎない。明治以降日本人は、この世間と社会の二重構造を生きることになった。現在でも伝統的な世間に縛られ、世間がホンネであって、社会はタテマエにすぎない。

 タテマエにすぎないので、社会に生きているという実感が乏しい。実感がないために、興味が周りの狭い世間に限定される。世間のソトの人間にみられているという感覚がないので、それが社会からすれば明白に違法な行為であっても、世間のウチでの承認のほうが優先される。

 ようするに、世間での承認欲求が肥大化し、社会の存在が頭から完全に脱落してしまったのが、バイトテロの本質ではないかと思う。

    ◇      ◇

 佐藤 直樹(さとう・なおき)九州工業大名誉教授 1951年生まれ、仙台市出身。九州大大学院博士後期課程単位取得退学。専門は世間学、現代評論、刑事法学。「日本世間学会」幹事。著書は「目くじら社会の人間関係」「犯罪の世間学」など。

=2019/03/17付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]