「ひめゆりの塔」と「大脱走」

 日米の古い映画を続けて見た。一つは「ひめゆりの塔」(今井正監督、1953年)。もう一つは「大脱走」(ジョン・スタージェス監督、1963年)。どちらも第2次世界大戦中の実話に基づいて作られた。

 二つの映画を見比べてみると、「戦争で捕虜になる」ということに対する、戦時中の日本と米国の考え方の違いがよく分かる。

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 「ひめゆりの塔」は、沖縄戦で看護婦として前線に立ったひめゆり学徒隊の悲劇を描いている。

 米軍が上陸作戦を実行する中、必死で兵士看護の任務にあたる女学生たちだったが、激しい艦砲射撃や機銃掃射を受け、日本軍とともに追い詰められていく。

 映画の中で軍人がこう訓示する。「最悪の場合は、この手りゅう弾で帝国軍人として名誉ある最後を飾るようにとの軍命令である」。女学生たちも軍人の持つ自決用の青酸カリを分けてくれるよう口々に訴える。

 ラスト近く、壕(ごう)に隠れた軍人と女学生に、投降を促す米軍の放送が聞こえてくる。「敵の宣伝なんかに乗って捕虜になるやつは、面汚しだぞ」と軍人が止める。1人の女学生が壕の外に走り出ようとすると、軍人が彼女を撃ち殺す。

 実際に沖縄戦では、捕虜となることを恐れた軍人や民間人の自決が相次いだ。米軍と接触した民間人を日本軍がスパイの疑いで処刑することがあったとの証言も残る。沖縄の人々は投降しようにもできない状態に追い込まれていた。

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 「大脱走」は、米国人に最も人気のある戦争映画の一つだ。日本でもテレビの洋画劇場などでしばしば放送されていた。

 ドイツ軍の捕虜となり収容所に入れられた連合軍の兵士たちが、知略とチームワークを駆使して脱走を試みるストーリーである。

 「一度は降伏して捕虜になっても、へこたれずに次のチャンスをうかがい、反撃を試みる不屈の精神」がこの映画のテーマだ。何度捕まっても脱走を繰り返す米国人兵士をスティーブ・マックイーンが演じた。

 2008年の米大統領選で共和党候補となったマケイン上院議員のアピールポイントの一つは、ベトナム戦争で捕虜になった(そして屈しなかった)ことだった。米国では「捕虜」がプラスの経歴となるのだ。

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 あの戦争において、日本人に事実上、捕虜になることを禁じたのは、陸軍大臣だった東条英機が示達した「戦陣訓」だとされる。

 軍人として取るべき行動規範を示した文書だが、その中に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」という一節がある。「捕虜になるくらいなら死ね」という意味だ。

 私はこれを当時の日本の指導部が陥った悪(あ)しき精神主義の典型とみる。この一節が兵士だけでなく民間人も精神的に縛り付け、アジア太平洋のさまざまな戦場で玉砕や自決につながっていったと指摘されている。

 この戦陣訓のために、本来は助かった可能性のある命がどれほど失われたか。歴史について「もし○○だったら」という仮定が無意味なことは十分承知しているが、それでも私は「もし戦陣訓がなかったら」と考えずにはいられない。

 二つの映画の明暗。その違いを生んだものに、深い悲しみと怒りを感じる。

 (論説副委員長)

=2018/06/10付 西日本新聞朝刊=

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