戦争の狂気に警鐘 唐津舞台の映画「花筐」の大林監督 [佐賀県]

唐津市で映画「花筐」の試写会の後、記者会見する大林宣彦監督=今年6月3日
唐津市で映画「花筐」の試写会の後、記者会見する大林宣彦監督=今年6月3日
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試写会の後、唐津映画製作推進委員会関係者や出演者とともに記念撮影する大林宣彦監督(右から3人目)
試写会の後、唐津映画製作推進委員会関係者や出演者とともに記念撮影する大林宣彦監督(右から3人目)
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 唐津市を舞台に撮影が行われた大林宣彦監督の映画「花筐(はなかたみ)」。すでに完成し12月上旬から同市での先行上映を予定する。大林監督が「映画人生の集大成」と位置づけるこの作品は、戦時中に平和を切実に願い、自分らしく生きた男女の青春群像劇だ。今なお、なくならない戦争の「狂気」に対し警鐘を強く打ち鳴らす。6月に同市であった試写会での記者会見を中心に大林監督が唐津で発した平和へのメッセージをつづる。

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 原作は作家、檀一雄(1912~76)の同名の小説。花筐を収めた作品集が出版された37(昭和12)年に日中戦争が起き、檀は召集を受け陸軍に入隊し大陸に出征した。大林監督が生まれたのはその翌年だ。

 「戦争が青春だったという悲しき父親たち。その精神を今、映画でよみがえらせた。父親たちが、いかに懸命になって自由に生きたいと求めていたことか。『自分の命ぐらい、自由にさせてほしい』。どんな理屈をつけようとも、戦争は愚かである。そう身に染みついている、敗戦を知る最後の世代として、父親たちの精神を伝えていかないといけない」

 花筐は、大林監督がデビュー時に脚本を書き上げ、40年の構想を経て制作が実現した。

 「檀さんが亡くなったこともあって別の作品でデビューした。ただ、あのころは花筐を映画にするには、時期が早かった。経済成長に目が向き、戦争に対する意識はあまりなかった。当時、花筐に感じていた魅力は、放蕩(ほうとう)無頼に自分らしく生きた青春群像だった。それが40年たって、戦争を知らない世代が世界の指導者となるようになり、恐ろしさを感じる時代になった。『(戦争放棄などを定めた)憲法9条は理屈抜きにいい』と、声を上げないといけないという危機感がある。40年前にはなかった切迫感の中、唐津映画製作推進委員会からは『今の日本に必要な映画』との言葉をいただき、支援を受けた」

 大林監督は敗戦の体験から、国家権力が唱える「正義」を「一番信じられない」という。

 「いざ、戦争に負けてしまうと、勝ったほうが正義で、負けた方の正義は間違っていたとされる。戦争という狂気に立ち向かうには正義ではなく『正気』しかない。正気とは、たとえば『けんかをしたくない』という子どもたちが持っている正常な心。他者をやっつけてナンバーワンになるのではなく、自分とは違った考え方の人を理解しオンリーワン同士として共存し合っていく。映画の良さは、鑑賞する人が作品について『自分のこと』として豊かに考えてみるため、それが他者を分かろうとする力になっていることだ」

 大林監督が、福岡市の能古島で静養していた晩年の檀を訪ねたとき、花筐は唐津の風情を思い浮かべながら筆を進めた小説だと明かされた。ただ、登場人物が通う大学予備校は現実にはないなど小説に出てくるのは架空の町だ。

 「数年前、唐津くんちを見たとき、伝統を受け継いでいこうとする里の人々の心意気を感じた。そして自分たちの誇りのために、気高く命懸けで曳山(ひきやま)を曳(ひ)いている。権力に負けない庶民の力であり、檀さんは花筐にこうした精神を込めた。原作には出てこないが、唐津くんちの映像があれば、花筐を映画にできるとの思いになった。古里の暮らしや文化を守る人たちの志が素直に世界を平和へと導いていく」

 大林監督は昨年8月の撮影開始直前に肺がんが判明。「余命3カ月」と宣告されたが、抗がん剤治療で回復に向かい、撮影を続けた。原作者の檀と同じ病気となり、より切実に「命の自由」と向き合い、この作品を「遺書のつもりだった」とも語った。

 「東京であった試写会に、友人が小学1年生の息子を連れてきた。その子は見終わった後、『映画のおじいちゃんは、ぼくにとても恐ろしい映画をつくってくれた。何が恐ろしいのか分からないけど、勉強しないといけないことがたくさんあって、知れば知るほど恐ろしいことが分かる』と話してくれました。映画は虚構であるがゆえに、より真が見えるよう描ける。平和について人ごととはせず、一人一人がいつまでも考え続けてほしい」

=2017/08/10付 西日本新聞朝刊=

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