「この子を育てたい」里親続ける女性 原動力は幼き日の出来事 [佐賀県]

「子供たちを温かい家庭で育てよう」と、会報を手に里親への登録を呼び掛ける県里親会「たんぽぽの会」の時津千春会長
「子供たちを温かい家庭で育てよう」と、会報を手に里親への登録を呼び掛ける県里親会「たんぽぽの会」の時津千春会長
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 「こどもの日」の佐賀市内の商業施設は、親子連れでにぎわっていた。出入り口で小さな女の子が女性のスカートを引っ張って甘えていた。仲むつまじい母子のようだ。女性は女の子を見つめながらも行き交う人にビラを配り、こう語りかけていた。「里親になりませんか」

 女性は県里親会「たんぽぽの会」の時津千春会長(51)だ。女の子は時津さんが里親として生後2カ月の時から養育し、現在3歳。ハンバーグが大好きで、ハート形にすると跳び上がって大喜びする。その姿が「本当にかわいい」と時津さんはほほ笑む。

 県によると、県内には乳児院や児童養護施設などで親元から離れて暮らす子どもが約300人いる。このうち、里親の元で生活するのは1割強の42人で、目標の約3割に届いていない。時津さんには「里親の元で育てると愛着関係が強まり、情緒が安定する」との信念がある。5月5日のビラ配りは、そんな呼び掛けをする会の活動だった。

 福岡市出身。高校卒業後、学校事務などを経て、今は唐津市に住む。「子どもにたくさん囲まれたい」。若い頃からそう願ってきた。しかし、35歳で結婚後、しばらく子どもは授からなかった。考え抜いた末、40歳で不妊治療を受けた。その翌年、待望の長男が誕生。次男に次いで「もう1人、育てたい」と7年前、県から里親の認定を受けた。

 3年後、48歳の時、児童相談所から女の子の存在を聞いた。翌朝、乳児院に会いに行った。当時は生後1カ月。ベッドで眠る小さな体を抱くと、とても柔らかだった。「この子を育てたい」。そんな思いが込み上げた。

 ビラを配った5月。時津さんは大きな決断をしていた。それまでの養育を行う里親から、女の子を養子にする前提となる「養子縁組里親」になった。きっかけは児相からの報告。詳細は分からないが、「実母の元への復帰は困難」と告げられた。

 養育する里親は、親元に戻るまでの「親代わり」。親元に帰れない以上、養子縁組に応じる「別の親」を探す手続きに入る。ただ、養子にすると、里親手当や生活費といった国からの公費は支給されなくなる。それでも時津さんは迷わなかった。「この子に二重、三重につらい思いはさせられない」と思ったからだ。

 時津さんには贖罪(しょくざい)に似た感情があるという。5歳の時、父の知り合いの子どもと一時一緒に暮らした。2歳年下の女の子。時津さんは拒み、女の子は別の所へ移った。

 高校卒業前、母から「あなたが嫌がらなかったら、あの子を養子にしようと思っていた」と告げられた。胸がギュッと痛んだ。その子の所在は分からない。「あの時、私は母を取られるような気がしたのかも。本当に申し訳なかった」との思いが、里親を続ける原動力にもなっている。

 会は県登録の里親のうち約50人で作る。定期的に集まり悩みを共有し、支え合う。子どもとのトラブルで心を痛める会員もいるが、それでも子どもが巣立ち、盆や正月に帰省してくると「育てて良かったと思う人が多い」という。

 女の子と10歳と6歳の兄。時津さんのスマートフォンには、3人の写真が数え切れないほど保存されている。一枚一枚を見ながら、「この子たちの成長が私の幸せ」と語った。

=2018/07/16付 西日本新聞朝刊=

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