佐賀城・水場遺構にかんざしや箸 「奧」の女性たちが利用か 焼けた瓦も大量出土 [佐賀県]

本年度の発掘調査で明らかになった水場遺構
本年度の発掘調査で明らかになった水場遺構
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奥の水場遺構から出土した青銅製のかんざし
奥の水場遺構から出土した青銅製のかんざし
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御玄関前から発掘された杏葉文鬼瓦
御玄関前から発掘された杏葉文鬼瓦
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 県は明治維新150年を機に昨年度から取り組んでいた佐賀城跡の発掘調査をほぼ終え、佐賀城本丸歴史館(佐賀市城内2丁目)で報道機関向けの現地説明会を開いた。調査で見つかった取水施設や1726年の佐賀城火災で焼けたとみられる大量の瓦などを公開した。

 調査は幕末維新期の佐賀の歴史について興味や関心を持ってもらおうと実施。本年度は側室や女官らが住んでいた「奥」や、城の正面「御玄関(おげんかん)前」に当たる場所など、五つの区域について調べた。

 奥があったとされる区域からは、昨年度に石段やそれに続く地下遺構の存在が判明しており、今回、地下遺構について新たに調べたところ、枡形の取水施設「水場遺構」(縦3・5メートル、横3メートル、深さ2メートル)の姿が明らかになった。地下水路が東西に伸びているほか、遺構からは青銅製のかんざしや木製の箸が出土。奥で生活していた女性たちが多布施川の水を利用して水をくんだり、物を洗ったりするのに使っていた可能性があるという。

 御玄関前からは深さ50センチ以上にわたり瓦が出土。瓦は焼けて赤く変色したり、木質の炭化物が付着したりしており、鍋島家の家紋「杏葉文(ぎょうようもん)鬼瓦」などの刻印の入ったものもみられ、1726年に本丸や天守閣などが火事で焼け落ちた際に出たがれきをまとめて埋めていたと推測できるという。

 2日にあった現地説明会で、県教育委員会文化財課の長崎浩係長は「生活に欠かせない水場遺構は奥の生活が伺える貴重な資料。今後は地下水路の構造などの研究が必要」と話した。遺構は保護するため、9日以降から調査現場を埋め戻していく予定。

 6日午後1時半からは発掘調査の成果を解説する講座を同歴史館で開く予定。誰でも参加でき、事前の申し込みは必要ない。

=2018/10/05付 西日本新聞朝刊=

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