“七賢人”の島義勇、交差点名一番乗り 佐賀市 新たなシンボル11日除幕の銅像近く [佐賀県]

「島義勇像前」と名付けられることになった交差点。奥には除幕式を控えた銅像が建つ
「島義勇像前」と名付けられることになった交差点。奥には除幕式を控えた銅像が建つ
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島義勇の肖像画(佐賀城本丸歴史館提供)
島義勇の肖像画(佐賀城本丸歴史館提供)
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 幕末・明治期の「佐賀の七賢人」の一人で、北海道の調査・開拓に尽力した島義勇(1822~74)の名が佐賀市内の交差点に掲げられる。知名度がいまひとつで、七賢人で唯一、単独の像や碑がなかった島。11日に島の銅像がお披露目され、近くの交差点名も「島義勇像前」に。市によると、七賢人の名が交差点名に入るのは島が一番乗り。関係者は「地図やカーナビに島の名前が出れば、多くの人に銅像を見に来てもらえるのでは」と期待する。

 島は佐賀藩10代藩主の鍋島直正の命令で蝦夷地や樺太を調査。明治新政府からは開拓使首席判官に任命され、現在の札幌市の街づくりに取り組んだ。鍋島直正、大隈重信、江藤新平らとともに「佐賀の七賢人」と呼ばれている。

 銅像は、佐賀市城内1丁目の佐賀城公園の西側に建てられるが、直近の交差点には名前がなかった。銅像を設置する県は9月、道路を管理する佐賀市に「せっかく像を建てる島義勇の名を交差点名に入れられないか」と要請した。

 市は「新たなシンボルができる場所が分かりやすくなり、市民や観光客にアピールできる」と判断。地元自治会の同意も得て「命名」に至った。

 名板の大きさは横1・2メートルで縦52センチ。交差点に四つある信号機に1枚ずつ取り付けられ、11日の銅像の除幕式に合わせてお披露目される。

 赤松校区自治会の蘭晴男会長(85)は「目印が少なかったから、交差点に島の名が付けば銅像の位置が分かりやすくなる。観光する人たちに対しても親切だ」と話した。

=2018/11/10付 西日本新聞朝刊=

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