東京裁判で使った魔法瓶、九州初公開 松本佩山デザイン 15日から有田晩香窯軌跡展 [佐賀県]

東京裁判で使われた松本佩山デザインの魔法瓶を手にする庄村さん
東京裁判で使われた松本佩山デザインの魔法瓶を手にする庄村さん
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陶芸家の松本佩山
陶芸家の松本佩山
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 有田町戸杓の九州陶磁文化館で15日~来年1月14日、明治150年記念展「有田晩香(ばんこう)窯~明治から平成の窯元の軌跡」が開かれる。明治から続く「晩香窯」(同町赤絵町)の歩みを紹介する展示で、注目のひとつが終戦直後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で使われた魔法瓶。同窯が戦時中に陶芸家の初代松本佩山(はいざん)(1895~1961)のデザインで制作し、九州では初めて公開される。

 晩香窯は上絵付け専業の赤絵屋として1884年創業。大正末から窯元になり、戦時中は「工栄社」として軍需品を製作した。金属の代替品として陶磁器で魔法瓶を作り、内側にはガラス、フタにはコルクを使った。茶色の胴に青の釉薬が流し掛けされ、抑制された中にも工芸的な美しさが光る。5代目晩香の庄村健さん(69)は「現代でも全く古びないデザイン」と話す。

 このデザインを手がけたのが釉薬使いの名手、初代松本佩山だった。有田が生んだ陶芸家の先駆けで、国選定の芸術保存者として戦時中のぜいたく品統制下でも作陶が許されていた。1943年、47歳で工栄社に入り技術顧問として開発やデザインを担った。

 佩山の魔法瓶は戦中から戦後にかけ約500本作られ、東京裁判の法廷でも使われた。うち1本が晩香窯に伝わっており、3年前に「象印マホービン」(大阪市)の研究者が調査に訪れて詳細が判明。「金属不足で第2次大戦中には魔法瓶製造はなかったという業界の通説を覆す新発見」として同社の記念館に展示され、このたび地元に帰ってきた。

 九陶での記念展は入場無料。魔法瓶のほか、晩香窯にまつわる115点を展示する。開会式典は15日午前10時から。

=2018/12/14付 西日本新聞朝刊=

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