旧富士小体育館改修巡り畑瀬副市長辞任 懐刀の独断「市長判断」に [佐賀県]

秀島敏行市長(左)を長年支えてきた畑瀬信芳副市長(右)。引責辞任を決め、14日の市議会全員協議会で謝罪した
秀島敏行市長(左)を長年支えてきた畑瀬信芳副市長(右)。引責辞任を決め、14日の市議会全員協議会で謝罪した
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 佐賀市が市議会に説明せずに他事業の予算を流用して旧富士小体育館を改修した問題で、改修を主導した畑瀬信芳副市長が18日、ナンバー2就任から半年余りで職を辞した。4期目の秀島敏行市長を就任直後から支えた懐刀は、なぜ退場に至ったのか。畑瀬氏の独断が「市長の判断」と受け止められかねない秀島市政のゆがみが浮かび上がる。

 「惜しい人材を手放さなければならず、残念だ」。畑瀬氏が辞任を表明した1月25日、秀島氏のコメントが波紋を呼んだ。ある市議は「なぜ市政を大混乱させた人間を惜しむのか」と首をひねった。秀島氏には「惜しい人材」と言わざるを得ない事情があった。

 秀島氏は市職員を経て2005年の市長選で旧佐賀市長を破って初当選。ただ政治基盤は盤石でなく「旧市長憎しで擁立されたワンポイントリリーフ」(自民市議)との見方もあった。

 その秀島市政を支えたのが秘書課長の畑瀬氏。「市役所内で目立つ存在ではなかった」(市OB)が、当時の知事とは同級生で、県とのパイプを構築。総務部長や企画調整部長を務め、秀島氏が当選を重ねるとともに発言力を増した。

 「部長でも市長と話せるのは年に数回あるかないか」(市幹部)とされる中、畑瀬氏は部長時代から周囲にこう語っていたという。

 「これは市長の考えだ」

 秀島氏は3期で引退する予定だったが、市長側近の一人は17年秋に「畑瀬と一緒に秀島市長に出馬を促した」。秀島氏が無投票で4選すると、市内部では「事実上の市長は畑瀬氏だ」との声もささやかれた。

 4選から約2週間後の同10月下旬。畑瀬氏は「深い親交がある」というサッカーJ1サガン鳥栖運営会社の竹原稔社長とホテルで昼食をとった。「バスケットボールチームをつくるので練習場を確保したい」と相談を受けたという。

 事態は急ピッチで動く。同12月21日、畑瀬氏は部下に改修を指示し、予算流用も認めた上で同27日に秀島氏に相談。年明けの18年1月5日、秀島氏は起案文書を十分に確認しないまま「畑瀬氏の案件」として改修を即日決裁した。

 同9月の市議会総務委員会で旧体育館の改修が判明。畑瀬氏の長男が改修後の同7月に竹原氏が経営する別の会社に入社し、チーム運営にも携わっていたことも分かった。畑瀬氏は「便宜供与はない」と主張し、秀島氏は「私の責任だ」と畑瀬氏をかばったが、その後も、ずさんな事務手続きが次々に明らかに。厳しい処分を求める自民市議に対し、秀島氏はこうもらしたという。「毎晩寝る前に畑瀬を切ろうと思うが、目を覚ますと切れない」

 秀島氏にとって、市の最大の課題であるJR佐賀駅周辺の再開発計画を担う畑瀬氏を辞めさせるかどうか苦渋の決断を迫られた。

 最終的に畑瀬氏は今年1月、「市長の判断」として退職届を提出。ただ退職する2月18日までに再開発の「めどをつける」とも述べた。

 退職が4日後に迫った同14日には、市が駅近くの駐車場の再開発に乗り出す計画を公表。約2千万円の赤字を税金で補う案に対し、さっそく市議会で異論が噴出した。

 これで駅再開発のめどがついたのか-。まだ気ぜわしい就業開始の午前8時半、畑瀬氏は市長室で秀島氏から「職を解く」との辞令を受け取ったという。

=2019/02/19付 西日本新聞朝刊=

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