福岡市長選 九州の先頭に立つ都市に

 福岡市が政令指定都市になった1972(昭和47)年当時、市長の阿部源蔵氏には口癖があったという。「政令市になって市民に良かベベ(着物)ば着せないかん」。時代を物語る言葉だ。戦後の福岡市史で政令市昇格は一大転機だったろう。

 それと並ぶ画期的な出来事は、市政100周年に合わせ89(平成元)年に催されたアジア太平洋博覧会ではなかったか。84年に進藤一馬市長が選挙公約に掲げ、継承した桑原敬一氏がバブル経済絶頂期に敢行した。博多湾埋め立てや地下鉄整備、都市高速延伸などにまい進した市の開発行政を象徴する。

 福岡市長選で現職の高島宗一郎氏が3選を果たした。

 この8年間、安倍晋三首相や麻生太郎副総理兼財務相らとのパイプを生かし、規制緩和や都市再開発を推進した。人口は158万人に増え、神戸市を抜き政令市で5位となった。目立った失政もなかった。

 選挙では実績を背に、都心のロープウエー構想など公約を、「福岡の勢いを止めない」と分かりやすい言葉で発信した。

 先代市長が1期で、先々代市長が2期で選挙に敗れたことを考えれば、有権者は安定した強い支持を示したと言えよう。

 高島氏は、経済成長が前提の昭和後半から平成にかけての市政の延長線上に立つ。来年は元号が改まり新しい時代が始まる。節目に巡り合わせる高島氏、福岡市、市民にとっては、単なる高島市政の3期目ではないはずだ。未来を見据え大局的な市政運営が求められる。

 福岡市発展の下地にはアジアに開かれた九州の玄関口という地の利がある。大きな河川がなく重厚長大型企業の立地に向かなかった点も逆に幸いした。もとより商人の街である。地場企業がまちづくりを主導し、市政は後押しした。その歴史と気風を改めて踏まえる必要がある。

 都市の成功は永遠ではない。九州初の政令市になった工業都市の北九州市は人口減に苦しんでいる。日本の産業構造の転換という事態に直面したからだ。

 福岡市も少子高齢化という難題を避けて通れない。市民の所得格差も指摘される。開発行政の付けとされる多額の市債残高の改善策も、さらに必要だ。

 政令市昇格から2度目となった熊本市長選では、熊本地震からの復興加速を掲げた大西一史氏が再選された。震災当時、高島氏と大西氏は連絡を取り合い、福岡市から応援職員や支援物資を送り込むなど迅速に対応した。行政の壁を越えて対処すべき問題は災害だけではない。

 都市間の競争と共栄が同時に求められる時代に、福岡市は九州の先頭に立つ覚悟が必要だ。

=2018/11/19付 西日本新聞朝刊=

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