新元号 令和 平和への「祈り」次世代に

 新しい元号が「令和(れいわ)」に決まった。皇太子さまが新天皇として即位される5月1日に、「平成」から改められる。

 令和は、すべて物事を行うのによい月を意味する「令月」と、激しさや厳しさ、対立や乱が治まる「和らぐ」の2語にちなむ。出典は日本最古の和歌集「万葉集」で国書由来の元号は初めてである。

 故事成語にはない新しい言葉だ。新しい天皇とともに、平和で災害にも負けず、人々の暮らしが安寧である時代を築いていく決意を新たにしたい。

 ▼歴史が紡ぐ天皇の役割

 日本人にとって元号とは何か。改めて理解しておきたい。

 日本で最初の元号は「大化」とされる。中央集権国家の出発点となった大化の改新(645年)に伴い用いられた。令和は、それから数えて248番目となる。

 元号を考えることは、天皇とは何かを考えることと、ほぼ同義である。古代、天皇の役割は国土と民の安寧を祈ることだった。「大化」以前の時期に在位した舒明(じょめい)天皇は、山あいの村落の情景を描写しながら五穀豊穣(ほうじょう)を願う歌を万葉集に残している。

 「大化」以降、改元は天皇一代を基本としながらも、天変地異など吉凶により改められた。一代で元号一つを定める「一世一元」制は近代、明治天皇からだ。その意味で、元号の制定は根本で連綿と続く「祈り」に通じ、現憲法下の象徴天皇の役割にもつながる。

 宮内庁によれば、5月に即位される天皇陛下は神武天皇を初代として126代目となる。

 歴史的に見れば、天皇が政治の実権者だった時期は長くない。摂関政治を経て武家が台頭し、天皇と時の権力を握る為政者の関係は一様ではなくなる。天皇の権威、為政者の権力を、互いに必要とする時期が多かった。

 乱世を治めた豊臣秀吉は正親町(おおぎまち)天皇に取り入ろうとした。正親町天皇は事前に、秀吉ら「天下人」となる見込みのある複数の武将と親交を結ぼうとしたとされる。

 間違いなく言えることは、時の為政者が例外なく天皇を存続させてきたことである。そうでなければ自身を絶対化するために朝廷を滅ぼしても不思議ではなかった。戦後の連合国軍総司令部(GHQ)も天皇制を残した。歴史の中で紡がれた日本人と天皇の結びつきに意義を見いだしたと言えよう。

 ▼「開かれた皇室」さらに

 とはいえ元号は戦後、法的根拠を失った。敗戦に伴い、旧皇室典範が廃止されたことによる。

 法的根拠を求める機運が高まったのは昭和天皇が在位50年を迎えられた頃だ。元号法はその4年後に制定され、元号は皇位継承があった場合に政令で定めるとした。

 保革が対立する政治情勢の下、法制化は「戦前回帰だ」との批判があった。一方、世論調査では元号賛成派は8割近くを占め、多くが「時代の区切り」をその理由に挙げた経緯がある。私たちは今、そうした選択の延長線上にいることを確認したい。

 現在の陛下が象徴天皇として初めて即位され、なお厳しい天皇観も残る中、時代は平成に改まる。

 くしくも平成は長崎県の雲仙・普賢岳噴火をはじめ、多数の自然災害に見舞われ、天皇、皇后両陛下は多くの被災地を訪問された。避難所で膝を折り、被災者と同じ目線を保たれた。沖縄やパラオの激戦地ペリリュー島の訪問など、戦争犠牲者の慰霊の旅も、かつての天皇観を変える象徴像として、私たちの脳裏に刻まれた。

 陛下は2月の在位30年式典で、平成が「近現代では初めて戦争を経験せぬ時代」だったと振り返る一方、象徴天皇像を模索する道は「果てしなく遠い」と表現された。皇太子さまは、「全身全霊」で任務を果たす姿勢を示された一連の陛下のお言葉に「心を揺さぶられた」と述べ、自らの務めを果たしていくと表明された。

 令和はどんな時代になるのだろうか-。平成の30年余で、家族や仕事の在り方から社会観まで私たち多くの意識が変わったように、想像もできない未来が待っているのかもしれない。激動に直面しても希望を忘れない社会の「国民統合の象徴」にふさわしい天皇像、皇室像をさらに求めてほしい。国民の多くは、より開かれた皇室に親近感を抱くに違いない。

 そのためにも政府は、元号の制定過程についての詳細な記録を残し、適宜、国民に公表すべきだ。透明性を高めることは憲法の趣旨にもかなう。皇室には、悠仁さま以降の男子皇族がおらず、安定した皇位継承を巡る課題も山積している。着実に論議を進めたい。

=2019/04/02付 西日本新聞朝刊=

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