「蝦夷(えぞ)地」と呼ばれた北の大地は、1869年の太政官布告で「北海道」と命名された…

 「蝦夷(えぞ)地」と呼ばれた北の大地は、1869年の太政官布告で「北海道」と命名された。名付け親は探検家の松浦武四郎。きょうは生誕200年に当たる

▼松浦は6回にわたって蝦夷地を調査し、詳細な記録を残した。調査には先住民の協力が不可欠だった。松浦はアイヌの人々と寝食を共にして交流を深め、その文化や生活も広く紹介した

▼明治政府の役人となった松浦は蝦夷地の新名称を提案した。その一つが「北加伊道(ほっかいどう)」。アイヌの長老に、カイは「この地で生まれたもの」という意味の言葉だと教わった。そのカイに「加伊」の字を当てたものが「海」になって採用された

▼よそ者にも温かく接してくれた経験が忘れ難かったのか。松浦は明治政府のアイヌ弾圧に抵抗。アイヌの人権保護を求め、安らかに暮らせるよう尽力した

▼札幌市の共同住宅火災で高齢者ら11人が亡くなった。自立支援を掲げた共同住宅は、入居者の大半が生活保護を受けていたという。困窮した人たちが安らかに暮らし、ここで生まれ変わって新たな人生に踏み出す場所だったのかもしれない

▼共同住宅の運営会社の名称でもある「なんもさ」は「一番あったかい北海道弁」といわれるそうだ。お礼やおわびに対し「どういたしまして」の意味で使われる。失敗した時は「何てことないよ」という励ましにも。他者への心遣いが込められた言葉を聞けば、悲劇がなおさら痛ましい。

=2018/02/06付 西日本新聞朝刊=

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