【「面倒臭い」がない世界】 平野 啓一郎さん

平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家
平野 啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん=作家
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◆行き着く果ての未来は?

 「面倒臭(くさ)い」というのは、人にあまり感心されない怠惰な呟(つぶや)きだが、この感覚には、独特の哲学的な深みがあり、内容も一様でない。

 例えば寝転がっていて、遠くにあるリモコンを取るのが面倒臭いというのは、絵に描いたような怠け者である。しかし、仕事の上で、他に楽な方法があるのに、わざわざ煩瑣(はんさ)な方法を採ろうとしている時の面倒臭いという感覚は、合理的だろう。旧態依然としたシステムの変更を厭(いと)うのは、大抵、面倒臭いからで、これは逆に不合理な態度と言える。

 人間関係が面倒臭くなることもある。相手の接触が過剰だったり、会話が要領を得なかったり、こちらが何かと気を遣う場合などは、その関係をできれば避けたいと考える。

 何となく気が進まない、どうしてもやる気が出ないという類いの面倒臭さもある。

 終わったと思った仕事に問題があって、一からやり直さなければならないのは面倒臭い。それでも、意味があるならまだしも、ただ面倒臭いばかりで不毛な仕事もある。

 面倒臭いという感覚の原因は幾つかある。

 一つは時間的なコスト。

 もう一つは、体を動かすことで、これは、明らかな疲労を伴う行動から、先ほどのリモコンの例のように、姿勢を変える程度の行為に至るまで幅広い。

 心の平穏を乱される、というのも、やはり面倒臭さの一因だろう。

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 こんなことを、今更くどくどしく書いているのも、昨今の最新の商品やサービスに、この面倒臭さの代行という発想が目立ってるからである。

 私は出版業界にいるから、どうしても書店とネット書店、あるいは印刷本と電子本の趨勢(すうせい)について尋ねられることが多いが、人が書店よりネット書店を選ぶ理由は、結局、その方が面倒臭くないからである。書店に足を運ぶ体験には、書店員の推薦や偶然の発見、社会風潮の理解など、ネット書店では得難い豊かさがあるが、それでも、ボタン一つで本を買え、配達までしてくれるという誘惑には抗(あらが)えない。私は町中の書店を愛しているが、この身も蓋(ふた)もない現実を直視することなしに、その未来を考えることはできないだろう。

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 いわゆる「出前」を、アプリ一つで簡単に実現してくれるウーバー・イーツのようなサービスも、近所の店なのだから、外に食べに行けばいいだろうと言ってみたところで仕方がない。

 日本ではタクシーの便がいいので、ウーバー本体はあまり成功していないが、海外に行くと、アプリで即座に配車され、現金のやりとりも目的地の説明も必要のないこのサービスは、タクシーよりも確かに面倒臭くない。

 アマゾン・エコーやグーグル・ホームのようなIoT(モノとインターネットをつなぐ)関連商品も、わざわざ音声認識に頼ることか、とも思うが、これなどは、先ほどのリモコンの話のレベルにまで、面倒臭いという感覚のビジネス化が浸透している例だろう。

 中国では2次元コードを用いた電子決済が爆発的に広まっているが、あれに慣れてしまうと、財布を取り出しての小銭のやりとりにはもう戻れまい。

 昨今の若者が恋愛に消極的な理由としても、しばしば聞かれるのは、面倒臭いから、という意見である。

 恐らく今後、人間が何を面倒臭いと感じるかは、虱潰(しらみつぶ)しに検討され、その一々全てが、ビジネスへと転化されるに違いない。

 誰もそれに反対はしないだろうが、その果てに、私たちは面倒臭いことのまったくない世界を想像できるだろうか。

 【略歴】1975年、愛知県蒲郡市生まれ。2歳から福岡県立東筑高卒業まで北九州市で暮らす。京都大在学中の99年にデビュー作「日蝕」で芥川賞。近刊は作品集「透明な迷宮」、長編小説「マチネの終わりに」。


=2018/01/07付 西日本新聞朝刊=

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