金嬉老事件から50年 論説委員 小出 浩樹

 毒と華-。間近で取材した記者として、それ以外の言葉は浮かばない。

 在日朝鮮人の金嬉老(キムヒロ)元受刑者(故人)である。1968年に暴力団員2人を射殺、宿泊客を人質に静岡県の旅館に籠城した「金嬉老事件」の犯人だ。当時は「きん・きろう」と日本語読みされていた。

 事件から今年で50年。先日、本紙に関連記事が掲載された。親族の言葉は痛烈だ。  「人生の大半を刑務所で過ごし、人から金をせびっては豪遊する、見えっ張りでずるく極端な男だった」「当時、在日はみんな差別された。金嬉老は殺人を民族問題にすり替え、社会がそれを利用した」

 彼が要求したのは、朝鮮人に対する差別発言をした警察官の謝罪だった。旅館から全国にテレビで生中継され、事件は差別問題へと急変した。

 在日コリアン人権協会によれば、在日の人々には、当時はまだ「差別と闘う」という意識が希薄だったという。

 ハンチング帽にライフルとダイナマイト、胸には自殺用の青酸カリ。まるで映画の悪役ヒーローだ。彼は半ば英雄視された後、刑期の途中、韓国・釜山に国外追放された。

 その釜山では殺人未遂事件を起こした。女性を巡る現地男性とのトラブルだ。日本ではほとんど知られていない。私は静岡と釜山の事件について聴くため2009年、彼の家を探し出した。

 「よく来てくれました」と上機嫌で始まった話は徐々に険悪な空気に包まれていった。約3時間。彼は所々で暗に金を要求した。話をそらすと、事件に使った包丁と同じものが「この家にもある」などと話を差し込んできた。私の手を取り顎の傷を触らせた。

 当時80歳。同情と恐怖で相手を制する力は天才的だった。静岡刑務所では職員が包丁を差し入れた。あり得ない。毒と華にのみ込まれたのだ。私にはそう思えた。冒頭の親族の評価はふに落ちる。

 在日コリアンを取り巻く環境は大きく変わった。私が知る在日3世は「出自をカミングアウト(告白)するという言い方が理解できない」といい、韓国籍を誇りに暮らしている。一方でヘイトスピーチなる愚行も登場した。

 あれは単なる凶悪事件だったに違いない。それでも時折、在日コリアンの人権意識を覚醒させたとされる事件が残したものを考える。言いしれぬ不快感に支配された取材、その反動にすぎないかもしれないが。

     ×   ×    

 ▼こいで・ひろき 1984年入社。宮崎総局、甘木支局、社会部、東京報道部、国際部、ソウル支局、北九州本社などを経て現職。

=2018/04/10付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]