渾身のメッセージ 編集委員 鶴丸 哲雄

 「父上様、母上様、三日とろろ美味(おい)しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました」

 「伊豆の踊子」や「雪国」で日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成が「美しくて、まことで、かなしいひびき」と評した遺書があった。この遺書の主が、1964年東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉さんであることは、多くの方がご存じだろう。円谷さんはメキシコ五輪を控えた68年の1月、東京の自衛隊体育学校宿舎で自殺した。金メダルを期待される重圧や体の故障などさまざまな苦悩が背景にあったという。

 遺書に出てくる「三日とろろ」とは、円谷さんの故郷の福島県で1月3日に食べるのが習わしのとろろご飯。7人きょうだいの末っ子だった円谷さんは、遺書に兄たち一人一人の名前も記し、差し入れにもらったぶどう酒、リンゴなどの品々が「美味しゅうございました」と、丁寧な感謝の言葉を連ねている。とにかくきまじめで、親や家族を思いやる人物だったことが、文面からひしひしと伝わる。

 遺書とは、死を覚悟した人が、最後に思いを伝えたい人たちに残す渾身(こんしん)のメッセージである。では、遺書とは呼べないが、このメッセージはどうか。書き写すだけで、涙がにじむ。

 「パパとママにいわれなくても しっかりと じぶんからきょうよりかあしたはもっとできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」

 「もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします」

 メッセージの主は、船戸結愛(ゆあ)ちゃん。東京都目黒区の自宅で両親に虐待されたとみられ、衰弱し、医師の診察を受けられないまま敗血症で死亡した。毎朝、自分で時計の目覚ましをセットして午前4時ごろに起き、体重測定と平仮名の書き取りをするよう、命じられていたという。ノートに平仮名で、父母への謝罪の言葉を書き連ねていた。5歳の幼女は、どんな思いで鉛筆を握っていたのだろう。

 死亡時の結愛ちゃんの体重は約12キロ。私の2歳の娘とほぼ同じだ。父親の実子ではなかったというが、それは、虐待が許される理由には断じてならない。

 円谷さんの遺書の結びは「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」だった。両親との関係性には雲泥の差があるが、結愛ちゃんも願っていたはずだ。パパ、ママ、普通に一緒に暮らしたい、と。

 両親には、この渾身のメッセージを、一生涯、穴の開くほど読み返してほしい。

=2018/06/13付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]