「まだら狼」の遺言 編集委員 上別府 保慶

 大分県玖珠町の中学校に通っていた頃、西日本新聞を配達していた。一緒に配った西日本スポーツには日活ロマンポルノの広告も載っており、こっそり開いて見た。「女高生レポート 夕子の白い胸」には目玉が飛び出る思いだった。だがそれ以上に衝撃だったのは、プロレスのジャイアント馬場とアントニオ猪木がけんか別れしたと報じる1971年の1面記事だった。

 こちらは「巨人の星」や「タイガーマスク」に熱狂した世代。星飛雄馬がマウンドで窮地に立てば、一塁と三塁から王と長嶋が駆け寄って励ますし、タイガーの場合は馬場と猪木が声を掛けた。少年ファンにとって、ONや馬場と猪木の英雄コンビが仲たがいするなどあり得ぬ事態だった。ショックは1日続いた。
 その後、記事を書く側に回り、20年ほど前に西スポ紙上で上田馬之助の聞き書きを連載した。上田は相撲界から力道山率いるプロレスに転じ、馬場と猪木が決別した後のマットではタイガー・ジェット・シンと組んだ名悪役である。惜しくも交通事故でリングから遠のき、熊本の病院で闘病生活を送っていた。

 上田が語る馬場や猪木との因縁試合の舞台裏には、どれもうなったが、最も驚いたのは「私が生きてる間は書いちゃだめ」と念を押した秘話だった。それは力道山が健在なりしころ、3人のレスラーを総当たりでぶつからせた非公開のテスト試合だった。

 顔ぶれは若手のスター候補だった馬場と、脇役専門の吉村道明、そして力道山の付き人として師匠から殴り蹴られる日々を送る猪木だった。上田は入れてもらえなかった。

 結果は馬場が全敗。猪木は1勝1敗。意外にも全勝したのは吉村だった。吉村は学生横綱出身のベテランで「回転エビ固め」などの技が光ったが、テレビ中継では外国人レスラーに血だらけにされて力道山にタッチする、引き立て役だった。しかしレスラーの間で「プロレスの神様」と呼ばれていたカール・ゴッチは、吉村の実力を「力道山より上」としていたという。

 ぽつりぽつりと話す上田の目には馬場や猪木と同期なのに格下扱いされた無念と、プロで飯を食うには悪役道を歩まざるを得なかった悲哀があった。そして「スターの引き立て役にこそ、高い技術が求められるんですよ」と、吉村への思慕をにじませた。

 「まだら狼(おおかみ)」こと、上田馬之助、2011年に71歳で昇天。タイガー・ジェット・シンと組んだ当時は試合後に必ず反省会を持ち、客を喜ばすアイデアを練るプロ中のプロだった。 (文中敬称略)

=2018/07/05付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]