台湾を3度捨てるのか 国際部担当部長 小山田 昌生

 先月、73年目の「慰霊の日」を迎えた沖縄を台湾元総統の李登輝氏が訪れた。95歳、療養後の体を押して、台湾人戦没者慰霊祭と自ら揮毫(きごう)した記念碑の除幕式に参列し、祈りをささげた。日本統治下に育った李氏は海軍兵士だった兄を戦争で失い、自身も学徒出陣を経験している。

 太平洋戦争では、約20万人の台湾人が日本の軍人・軍属として動員され、約3万人が戦死した。台湾南部・高雄市の「戦争と平和記念公園」に台湾人元日本兵の資料館がある。記録や遺品から、彼らが日本の敗戦後も過酷な状況にあったことが読み取れる。

 中国から来た国民党・蒋介石政権に徴用され、多数が大陸で共産党との内戦に従軍させられた。共産党軍の捕虜となり、朝鮮戦争で戦死した人もいる。故郷台湾を守るためではなく、日本と中国の都合で人生を翻弄(ほんろう)されたのだ。

 「日本は、台湾を2度捨てた」。台北特派員だった頃、複数の日本語世代のお年寄りから、この言葉を聞いた。

 1度目は1945年の終戦だ。無条件降伏した日本は、それまで50年間統治してきた台湾の施政権や公有財産を放棄した。だが、その権利は共に汗を流した台湾人ではなく、蒋介石政権の手に渡った。

 2度目は72年の日中国交正常化に伴う台湾との断交だ。日本を「祖国」と教え込まれた世代の台湾人は「見放された」と感じたという。

 72年の日中共同声明で日本政府は、台湾を自国領の一部とする中国の立場を「十分理解し、尊重」すると表明する一方、「同意」や「了承」の表現は避け、台湾との実質的な外交関係を保ってきた。

 中国は最近、「一つの中国」原則を受け入れない台湾の蔡英文政権への圧力を強め、各種の国際会議から締め出すだけでなく、外国企業にまで干渉し始めた。日航や全日空は中国側の要求に応じ、中国向けサイトで「台湾」の表記を「中国台湾」に変更した。

 台湾は観光、グルメの島として人気で、日台間は年間600万人以上が往来する。だが、朝鮮半島や中国を巡る問題に比べ、台湾が抱える苦悩について語られる機会は少ない。中国が経済・軍事的に台頭し、東アジアの勢力図は大きく変わりつつある。日本は台湾の「親日的」印象に甘えるだけでなく、民主主義や人権などの価値観を共有する隣人として、正面から向き合う時ではないか。「3度捨てた」と言われないためにも。

    ×   ×

 ▼おやまだ・まさお 北九州市出身。筑波大卒。1987年入社。佐世保支局、編集企画委員会、東京支社報道部、台北支局、アジア室などを経て現職。

=2018/07/11付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]