名画群の向こう側 編集委員 上別府 保慶

 九州国立博物館で開かれている「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」は、モネやルノワールらの逸品がずらりと並び、美術ファンを魅了してやまない。有名な作品を、これほど多く収集したエミール・ゲオルク・ビュールレの財力には驚くばかりだが、それもそのはず、彼は兵器会社として世界に知られたスイスのエリコン社を経営した大富豪だった。

 このエリコンが製造した20ミリ機関砲は、世界の陸海軍がこぞって買い入れ、言葉は不適当ながら、いわば大ヒット商品だった。日本海軍も生産許可(ライセンス)を取って改良を加え、九九式20ミリ機銃として零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に搭載した。

 元ゼロ戦搭乗員で著書「大空のサムライ」によって知られる故坂井三郎さん(佐賀県出身)から聞いた話では、この20ミリ機銃は命中すれば破壊力はすさまじかったが、口径が大きい分、重い弾丸は放物線を描いて落ち「組んずほぐれつの格闘戦では、ほとんど命中しなかった」。実際には口径が小さい7・7ミリ機銃の方に頼った。日本の敗色が濃くなり、学徒兵など速成の搭乗員が増えるにつれて、さらに命中の精度が落ちるのはやむを得なかったという。

 皮肉なことに、かつては空戦で優勢を誇ったゼロ戦が特攻に使われ始めたころ、米軍の方でもエリコンの20ミリ機関砲を戦艦や空母などに増強した。ハリネズミのように弾幕を張って守りを固め、同じ武器会社の製品でたたき合うという、戦争ではよくあることながら、無残な光景が繰り広げられたのである。

 ビュールレは第2次大戦が終わった後の1956年まで生きたが、果たして太平洋でのそうしたことまで承知していたかどうかは分からない。エリコンも1999年に兵器部門をドイツの企業に売却し、今は産業機器などの会社になっている。

 ただ、ルノワールの「可愛(かわい)いイレーヌ」、セザンヌの「赤いチョッキの少年」、ゴッホの「日没を背に種まく人」、モネの「睡蓮(すいれん)の池、緑の反映」といった、教科書で見たことのある作品群が、かくもまとまって見られる背景は知っておきたい。もとより作品を描いた芸術家はあずかり知らない話ではあるが、展覧会場で、一つ一つの作品がくぐってきた20世紀という波乱の時代を重ねて見るとき、奇跡ともいうべき光景がさらに重みを増すように思う。

 「至上の印象派展」は16日に閉幕する。東京、福岡に続いて、次は名古屋市美術館で今月28日から9月24日まで開かれ、日本を去る。

=2018/07/12付 西日本新聞朝刊=

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