定番ドラマもいいが… 文化部次長 古賀 英毅

 大河ドラマ「西郷(せご)どん」が大詰めを迎えている。力を合わせて徳川幕府を倒して新政府を樹立した面々は、国を閉ざしていた朝鮮王朝への対応で真っ二つに割れる。「敗者」となった西郷はやがて西南戦争への道をたどる。

 さまざまな対立関係が描かれているが、幕府側も含め、ほとんどの登場人物に共通するのは「攘夷(じょうい)思想」だろう。「攘」とは払い除く、「夷」とは野蛮人の意味だ。

 この場合の「夷」は欧米諸国を指す。攘夷思想を持つ人の多くは尊皇思想も併せ持ち、日本を「神州」「皇国」と呼んだ。彼らは西洋の技術力に恐怖を覚えながらも相手を格下と見なしていたようだ。

 こうした発想は、豊臣秀吉の時代にも似た考えがあったといい、立命館大助教の奈良勝司さんによると、明治政府樹立後も「攘夷思想」は大半の人々に残り続けたという。

 外国を内心では見下しながら交易を進めようとする人たちを、奈良さんは「攘夷開国派」と呼ぶ。それは、その後の征韓論や近代のアジア進出につながりもする。

 だが、幕末期、違った考えで諸国との関係を築こうとした人々もいた。幕府の学校「昌平黌(こう)」で佐賀出身の儒者・古賀〓庵(とうあん)(1788~1847)に学んだ旗本らだ。

 儒者が持ち上げがちな中国を絶対視しない。日本を「皇国」などと呼ぶことは、中国こそが世界の中心であり他に優越していると考える中華思想と同じだと批判する。西洋諸国を「夷」とはせず個別の国名で表記して、国家は対等と
いう世界観を示す。

 膨大な読書量を誇った〓庵が朱子学の合理主義から導き出した結論という。

 教え子たちは外国との約束である条約を守り、政府としての信義を貫いた対等外交を目指す。それを妨げるのなら天皇や将軍も不要という考えにたどり着いた人もいた。

 しかし、1865(慶応元)年、政争に敗れて彼らの主張は後退する。天皇の権威を一つ上に置く将軍徳川慶喜も会津藩主松平容保も根本では彼らの対極にいた。薩摩も長州も同じ。以後は同じような対外感覚を持つ勢力間での権力の奪い合いにすぎない-。奈良さんは著書「明治維新をとらえ直す」で、そう説く。

 執筆動機の一つは「近世以来の独善的・傲慢(ごうまん)な世界観を清算し切らないまま日本が近代に突入したことを示したかった」からだそうだ。

 多くの幕末・維新のドラマが作られてきたが、〓庵やその教え子が中心となった物語はあっただろうか。定番もいいが、慶応元年がハイライトの話も見てみたい。

 ※文中の〓はすべて「にんべん」に「同」

=2018/11/09付 西日本新聞朝刊=

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