蘭学かぶれのお殿さま デジタル編集チーム 田代 芳樹

 明治維新150年に当たる今年、維新を推進した薩長土肥4藩の一翼を担った佐賀県も、さまざまな催しを展開中だ。佐賀といえば、10代佐賀藩主の鍋島直正や大隈重信ら、いわゆる「七賢人」を思い浮かべる人が多いだろう。

 だが、維新前夜に佐賀藩近代化の陰の立役者となった、武雄鍋島家28代領主の鍋島茂義(1800~62)も、見過ごせない一人ではないか。

 20代で藩の家老を務めるほどの俊才で、蘭学(らんがく)を積極的に取り入れた。その義弟で「蘭癖(らんぺき)大名」と呼ばれた直正に大きな影響を与えた人物だ。

 蘭癖とはオランダかぶれの意で、開明派への皮肉交じりの呼称でもあったようだが、それはともかく茂義は、佐賀、福岡両藩が交代で務めた長崎警備で蘭学に触れ、西洋の科学や文化に好奇心をかき立てられた。まず軍事の近代化を図り、興味の対象を多方面に広げていったという。

 その様子は、武雄領主の買い物帳と呼ばれ、5冊中4冊が現存する「長崎方控(かたひかえ)」から読み取ることができる。

 それによれば、長崎での購入品は、蘭書に顕微鏡、天球儀、エレキテル(静電気発生装置)、時計や、ぶどう酒など嗜好(しこう)品まで多種多様だ。

 蘭書に基づき、実験用国産ガラス製品を作り、お抱え医師に命じて英国人が発見した牛痘(ぎゅうとう)種痘法で天然痘の予防接種を日本で初めて行ったとされる。「液体の比重」を理解し、薬草などの栽培方法を研究したとの記述もある。

 知識を詰め込み、ため込むだけでなく、実験を通して科学や文化を吸収していった点が茂義のすごさだ。中には実験で硫酸を人に飲ませたとも記述されている。これは度が過ぎた怖い話だが、お殿さまというより、根っからの研究者だったのだろう。

 茂義は一方で、オランダなどから絵の具を買って絵筆を振るい、「皆春齋(かいしゅんさい)」の雅号で画家としても活躍した。佐賀県武雄市の名勝地「御船山楽園」も、京都から招いた狩野派の絵師に設計図を描かせて造ったという。

 茂義が集めた資料の多くは国重要文化財に指定されており、いかに日本の近代化に貢献したかが分かる。そうした資料は公開に厳しい条件があり、目にする機会も少ない。武雄市図書館・歴史資料館では25日まで、茂義が収集した西洋の青色絵の具や、それがもたらした新しい表現による絵画などを紹介する企画展が開かれている。

 イタリア・ルネサンス期の天才レオナルド・ダビンチをほうふつとさせる、茂義の蘭癖ぶりの一端に触れることができるだろう。

=2018/11/21付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]